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張国燾
『最新支那要人伝』(1941年)
プロフィール
出生:1897年12月19日
(清光緒23年11月26日)
死去:1979年12月3日
カナダオンタリオ州トロント
出身地: 清江西省袁州府萍郷県
張 国燾(ちょう こくとう)は近代中国の政治家、革命家。長征中に造反し、その後共産党を除名された。字は榿陰。別名は特立。号は凱音、克仁。 そもそも毛沢東や朱徳と異なり、農村の出身者ではなかった。北京大学在学中は学生運動家ではあったものの、共産主義者ではなかった。五四運動の高まりの中で、急速に民族意識を高めていったと思われるが、当時最先端の革命思想であるマルクス主義に触れたのもこのころであろう。
経歴
1897年 - 江西省に生まれる。裕福な家庭で生まれ、学業成績は優秀であったという。
1916年 - 北京大学入学。同年五四運動参加
1920年 - 北京共産主義グループに参加
1921年 - 第一回共産党大会(中共一大会議)出席、中央委員に選出(党歴の開始)
1938年 - 4月共産党除名(党歴の終了)
1949年 - 香港に脱出、ブラジル・カナダへ移住、カナダで亡命。
1979年 - トロントにて病没。
党歴
1921年 - 第一回共産党大会に北京代表として出席、中央委員に選出されると同時に労働組合書記部主任を兼務。
1922年 - 第一回極東諸民族大会(コミンテルン主催)出席のためモスクワ入り。レーニンと会談。
1924年 - 第一次国共合作時中国国民党第一回全国大会にて国民党中央執行委員候補人に選出される。同年5月北京にて北洋軍閥政府に逮捕され、転向したとして出獄。
1927年 - 南昌起義に参加
この間、第二回・第4回・第5回・第6回共産党大会において中央執行委員、中央政治局員、湖北省委員会書記などを歴任。
1935年 - 長征に参加、同年9月中央軍から相当数の兵力を維持して分裂、中共中央を自称。
1936年 - 中共に再合流。
1937年 - 陝甘寧辺区政府副主席
1938年 - 4月国民党へ転向、4月18日共産党除名。
思想