この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2010年8月)
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この項目では、主に仏教信仰の対象について説明しています。その他の用法については「弥勒 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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弥勒菩薩
木造弥勒菩薩半跏像[注 1]
(国宝・広隆寺蔵)
名弥勒菩薩
梵名マイトレーヤ
別名慈氏菩薩
経典『観弥勒菩薩上生兜率天経』
『弥勒下生経』
『弥勒大成仏経』
『仏説無量寿経』
信仰瑜伽行唯識学派
浄土教
真言宗
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弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
弥勒は音写であり、「慈しみ」(梵: maitr?, 巴: mett?)を語源とするため、慈氏菩薩(“慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。
三昧耶形は蓮華上の塔、賢瓶(水瓶)。種子(種子字)は??(yu)。 一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、『中阿含経』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人である。慧覚訳『賢愚経
名称
未来仏弥勒菩薩立像、13世紀、鎌倉時代、重要文化財、東京国立博物館蔵
弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。
前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜率天での寿命が4000年であり、兜率天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年かかるという計算に由来する。そして、後代になって5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったと考えられている。
その未来仏の出現する時代は厳密には定かではなく「遠い未来」の比喩ではないかとの説もある。弥勒菩薩はバラモンとして娑婆世界に出世して、シッダッタ同様に出家したのち竜華樹下で悟りを得て、三度にわたり説法を行い多くの人々を救うという(これを竜華三会という)。『弥勒下生経』には、初会96億、二会94億、三会92億の衆生を済度すると説いている。なお、現在の弥勒はまだ修行者(菩薩)だが、遠い未来の下生の姿を先取りして弥勒如来、弥勒仏と呼ばれることもあり、如来形
[2]の仏像も作られている。『観弥勒菩薩上生兜率天経』、『弥勒下生経』、『弥勒大成仏経』の3本で『弥勒三部経』と呼ぶことがある。また、浄土宗系の『無量寿経』には、阿弥陀仏の本願を後世の苦悩の衆生に説き聞かせるようにと、釈迦牟尼仏から弥勒菩薩に付嘱されている。
仏教の中に未来仏としての弥勒菩薩が登場するのはかなり早く、すでに『阿含経』に記述が見える。この未来仏の概念は過去七仏から発展して生まれたものと考えられている。
弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、六道すべての世界に現れて衆生を救うのが地蔵菩薩であるとされる。 弥勒信仰には、上生信仰とともに、下生信仰も存在し、中国においては、こちらの信仰の方が流行した。下生信仰とは、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰に対し、弥勒如来の下生が(56億7千万年などの)遠い未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならないという信仰である。 浄土信仰に類した上生信仰に対して、下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素が強い。そのため、反体制の集団に利用される、あるいは、下生信仰の集団が反体制化する、という例が、各時代に数多く見られる。北魏の大乗の乱や、北宋・南宋・元・明・清の白蓮教が、その代表である。 日本でも戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、ユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待された。一種のメシアニズムであるが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念が強い。この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部に展開した。江戸期には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動している。また百姓一揆、特に世直し一揆の中に、弥勒思想の強い影響があることが指摘されている。 300年前後に、インドの瑜伽行唯識学派の論師として唯識説を説く開祖の一人。後世の伝説によって、前述の未来仏としての弥勒菩薩と同一視された。著作に『瑜伽師地論』(漢訳説)、『大乗荘厳経論』、『中辺分別論
下生信仰
唯識論師詳細は「弥勒 (僧)」を参照
チベットでは、『瑜伽師地論』は無著菩薩造となっており、『究竟一乗宝性論』が弥勒(マイトレーヤ)造となっているが、漢訳では安慧(スティラマティ)造としている。
ミスラ神との関係「ミトラ教」および「阿修羅」も参照
ミスラはインド神話におけるアーディティヤ神群の一柱ミトラと起源を同じくし、古くは古代アーリアにおいて信仰されていた契約の神だった[3]。ゾロアスター教においては中級神ヤザタの一柱とされ、英雄神、太陽神とされる。