式守勘太夫_(12代)
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12代式守勘太夫
12th Shikimori Kanday?

基礎情報
行司名式守国浩
→ 8代
式守錦之助
→ 12代式守与太夫
→ 10代式守与之吉
→ 12代式守勘太夫
本名きくち ひろし
菊池 浩
愛称ツートン行司、病勘
生年月日 (1968-11-15) 1968年11月15日(55歳)
出身 日本宮城県伊具郡丸森町
所属部屋伊勢ヶ濱部屋
高島部屋
春日山部屋
追手風部屋
中川部屋
宮城野部屋
朝日山部屋
データ
現在の階級幕内格行司
最高位幕内格行司
初土俵1984年5月場所
幕内格2009年1月場所
備考
2019年4月30日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

12代 式守 勘太夫(じゅうにだい しきもり かんだゆう、本名:菊池 浩(きくち ひろし)、1968年11月15日 - )は大相撲幕内行司である。朝日山部屋所属。血液型A型
人物

東京都育ちではあるが、両親や祖父母の郷里に因み出身を宮城県伊具郡丸森町としている。

元は左利きだったが、相撲界に入るため6年掛けて矯正した。

ツートンカラー(上半身赤下半身白、上半身紫下半身白など)の装束をよく着ている。他にも多々の装束を持ち有名。水玉陣羽織については美しさからとても興味を惹かれる[1]

かつての8代式守錦之助から2009年1月場所で12代与太夫を襲名したが、錦之助から与太夫を襲名した前例は、19代木村庄之助(2代錦之助→5代与太夫)以来2人目。しかし、将来の勘太夫襲名を希望していたため、それを見越して2016年1月場所から10代式守与之吉[2]に改名した[3]。なお、2代目から10代目までの勘太夫は全員に「與之吉」の襲名経験がある。2019年5月場所で12代式守勘太夫を襲名した。

入門当初は伊勢ヶ濱部屋の所属であったが、所属する部屋の閉鎖を3度経験したため、高島部屋(2007年2月1日付)、春日山部屋(2011年6月17日付)、追手風部屋(2016年10月19日付)と3回の移籍を経験した[4]2017年1月26日に春日山部屋が中川部屋として再興すると4度目の移籍をしたが[5]、直後の3月場所は体調不良を理由に出場せず[6]、場所後の4月17日付で宮城野部屋へ移籍した[7]。さらに2022年8月1日には朝日山部屋へ移籍した[8]

2018年は、1月場所から体調不良のため連続休場となった。前年12月の冬巡業中にギラン・バレー症候群を発症して入院していたためで、療養中は相撲協会の配慮で病名が非公表となっていたが、6月に退院し、9月場所から国技館に出勤できるまで回復したことで公表された[9]。同年9月30日の日馬富士引退相撲から土俵に復帰し、この日は幕内の取組を2番裁いた[10]

16代木村玉光が三役格時代に使用していた軍配の1つを譲り受けて、主に東京場所で用いている。

2019年1月場所8日目の天覧相撲で、明仁天皇美智子皇后の相撲への関心の高さから、与之吉(当時)の病状についても把握されており、(説明役の)八角理事長に「与之吉さんは大丈夫ですか?」と気遣われる場面があった。当の与之吉の担当取組は天覧相撲前の幕内前半であり、既に所定の取組を終え行司部屋に戻っており、打ち出し後にそのことを聞き、大変驚いた上で、「ありがたい、光栄です。」とコメントしている[11]

2024年3月場所5日目、自分が受け持った取組が2番続けて不戦になり、実際に取組を裁くことなく不戦勝の勝ち名乗りを与えただけで一日が終わったことがあった(■前頭6枚目剣翔対同6枚目豪ノ山□、■前頭7枚目金峰山対同5枚目大の里□)。同場所千秋楽では、東前頭17枚目尊富士対西前頭6枚目豪ノ山の取組を裁き、尊富士が110年ぶりの新入幕優勝を果たした。
掛け声 

はっきょーい!おーっ!のこった!おーっのこっのこった!
略歴

1984年(昭和59年)5月場所:式守国浩の名で初土俵

1984年(昭和59年)7月場所:序ノ口格

1985年(昭和60年)1月場所:序二段格昇進

1988年(昭和63年)1月場所:三段目格昇進

1991年(平成3年)1月場所:幕下格昇進

2001年(平成13年)1月場所:十両格昇進、8代式守錦之助襲名

2009年(平成21年)1月場所:幕内格昇進、12代式守与太夫襲名

2016年(平成28年)1月場所:10代式守与之吉襲名

2019年(令和元年)5月場所:12代式守勘太夫襲名

脚注[脚注の使い方]^ 2013年1月25日刊スポーツ掲載。
^ 襲名したのは旧字体でない「与之吉」で、代々の襲名者は旧字体の「與之吉」を名乗っている。
^ 式守与太夫が与之吉に改名 のちの勘太夫見据え決断 日刊スポーツ 2015年12月25日(2015年12月25日閲覧)
^ 部屋閉鎖の理由としてはそれぞれ、伊勢ヶ濱部屋は師匠が停年前に部屋を閉じたこと、高島部屋は所属力士が1人もいなくなったこと、また春日山部屋は、師匠の不適格処分による。
^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年4月号(春場所総決算号) 124頁
^“行司の式守与之吉が休場 体調不良のため/春場所”. SANSPO.COM. (2017年3月12日). ⇒http://www.sanspo.com/sports/news/20170312/sum17031219040012-n1.html 2017年4月25日閲覧。 
^ “幕内格行司の式守与之吉、宮城野部屋へ所属変更”. 日刊スポーツ. (2017年4月25日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1813158.html 2017年4月25日閲覧。 
^ 「力士往来」『相撲』2022年10月号、ベースボール・マガジン社、122頁。 
^ “「九死に一生」式守与之吉 土俵に戻る”. 日刊スポーツ. (2018年9月20日). https://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/201809190000380.html 2018年9月20日閲覧。 
^ “病気克服の式守与之吉、日馬富士引退相撲で土俵復帰”. 日刊スポーツ. (2018年9月30日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201809300000627.html 2018年9月30日閲覧。 
^ “「与之吉さんは大丈夫ですか?」両陛下が驚きの質問 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2019年1月28日閲覧。

外部リンク

行司プロフィール 式守 勘太夫
- 日本相撲協会

「首しか動かない」難病克服した行司の壮絶な体験 - 東洋経済ONLINE


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