弁証法
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弁証法(べんしょうほう、: διαλεκτικ?、: dialectic)は、哲学の用語であり、現代において使用される場合、ヘーゲルによって定式化された弁証法、及びそれを継承しているマルクスの弁証法を意味することがほとんどである。それは、世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則とされる(ヘーゲルなどにおいては、弁証法は現実の内容そのものの発展のありかたである)。しかし、弁証法という用語が指すものは、哲学史においてヘーゲルの登場よりも古く、ギリシア哲学以来議論されているものであり、この用語を使う哲学者によってその内容は多岐にわたっている。したがって「弁証法=ヘーゲルの弁証法的論理学」としてすべてを理解しようとするのは誤りである。弁証法は、元来哲学の内部で問題とされ、哲学固有の考え方、或いは哲学的論理というものであったが、今日では、ほとんど常識化され、無造作に用いられるようになった[1]
歴史

弁証法という言葉は、古代ギリシアの哲学に初めて登場し、それは他人との議論の技術、または事物の対立という意味で使われていた。アリストテレスによれば、エレアのゼノンによって創始されたという[2]

ヘーゲル、マルクスのそれは三枝弁証法だが、フリードリヒ・シュライエルマッハーのような二枝弁証法、シェリングのような四枝弁証法もある。
ソクラテスの対話(問答法)詳細は「問答法」および「ソクラテス式問答法」を参照

プラトンの初期対話篇で描かれる、比較的実像に忠実とされるソクラテスから導かれる解釈では、彼が実践した、ある一つの考え方が内在的に伴うことになる矛盾を明らかにするために、その主張に疑問を投げかけながら議論・問答することで、より妥当な真理に近づこうとする方法を意味する。問答法と表現される。
プラトン・アリストテレスの推論技術(弁証術)

更に、プラトン自身の考えが徐々に固まりつつ前面に出てくる初期末の『ゴルギアス』『メノン』から『国家』『パイドロス』等の中期以降の対話篇になると、「ディアレクティケー」(弁証術)は、「対話」「質疑応答」「問答」という元々の素朴な意味から発展し、対象の自然本性に沿って、自在に概念を綜合(総合)・分析(分割)していける、「緻密な推論の技術・能力」を意味するものとして洗練されてくる[3]。(その一部は、後期の『ソピステス』『政治家』等に至り、分割法(ディアイレシス)の名で呼ばれる、より明確なものとして立ち現れてくる。)

プラトンは「ディアレクティケー」(弁証術)と「レートリケー」(弁論術)を対比させながら、「言論(ロゴス)の技術(テクネー)」としての前者の優位性と後者の欠格を主張する。


プラトンのこの「緻密な推論技術」としての「ディアレクティケー」(弁証術)の用法は、弟子のアリストテレスにも受け継がれる。ただし、アリストテレスはこの概念を、「いかなる前提から出発するか」によって、

絶対的な真にして第一の前提から出発する「論証」(apodictic, 議論不要・恒真)的な推論(demonstration) (→厳密、学問的、形式的(形式論理学)、『分析論前書』『分析論後書』)

蓋然的な通念(endoxa)を前提として出発する「弁証」(dialectic)的な推論 (→社会的、実践的、『トピカ』)

不確かな前提から出発する「論争」(eristic)的な推論 (→詭弁、『詭弁論駁論』)

誤った前提から出発する「誤謬」推論(paralogism)

等に分割・分類し、再定義しており、「ディアレクティケー」(弁証術)の意味・役割は、「社会通念を適切に処理する手段」という狭い限定された領域に押し込まれることになった。

なお、アリストテレスの推論は、総じて「三段論法」(: συλλογισμ??, syllogism, シュロギスモス)として定型化されており、プラトンの頃よりも、統合(syl-)に向けてより形式化されている。そしてこの統合性が、後代のヘーゲルにおける弁証法とは異なって、無矛盾のうちに進められる。

アリストテレスのこれらについての著作は、後代に『オルガノン』(Organon)としてまとめられ、その技術は総じて「ロギケー」(: λογικ?, logik?、: logica, ロギカ)と呼ばれるようになり、「論理学」(logic)の基礎となる。
アリストテレス以降
アリストテレス論理学の継承

アリストテレスの著作と思想は、中東を経由して欧州へ再輸入され、中世のスコラ学、更に、近代の哲学者達(特に、大陸合理論カント)へと継承されていくことになるが、上記のアリストテレスの論理学的分類により、弁証法(dialectic)という言葉や行為そのものは、形式的な論理(論証, demonstration)よりは一段劣る、通俗的・社会的なニュアンスを孕んだものとなる。

(また同時に、神学とも相まって、論理で扱われる「類の概念」(第二実体、普遍者、形相)を、「実体視」するのか(実念論)、名目的なものに過ぎないと考えるのか(唯名論)も、重要な論争点(普遍論争)として、中世スコラ学の頃より浮上してくることになる。スコラ学・大陸合理論・カントの流れは、基本的には前者の実念論的発想が優位な流れであり、これといち早く決別したのが、後者の継承とも言える、フランシス・ベーコン等に始まるイギリス経験論自然科学だと言える。)
アリストテレス形而上学の破綻と再構築

ただし、中世までと、近世・近代では、アリストテレスの思想を取り巻く状況、その位置付けは大きく変化した。

というのも、アリストテレスの思想・学問体系は、「純粋形相・純粋現実態である不動の動者によって動かされている、地球を中心に円運動する宇宙・世界」といった地球中心説天動説)的宇宙観・世界観から始まり、「万物がヒュレー(質料)・デュナミス(可能態)から、エイドス(形相)・エネルゲイア(現実態)の実現へと向けて運動する」といった共通法則を、自然学・形而上学(第一哲学)→倫理学→政治学と、人間の実践的領域にまで敷衍・適用するように組み立てられた、緻密かつ壮大なグランドセオリーだったが、コペルニクス等によって太陽中心説地動説)が解明・普及された16世紀以降、その枠組みが破綻してしまったためである。

したがって、近代哲学においては、アリストテレスのそれに代わる、新しい形而上学(第一哲学)、ひいてはグランドセオリーの再構築が、1つの大きな課題となった。(ヘーゲル等の段階では、これは「Wissenschaft」(ヴィッセンシャフト、学・学知)と呼ばれるようになるが、念頭に置かれているものは同じである。)

英国ではそうした「拙速な枠組みの先決」を避け、経験的・漸進的な学習・解明を重視する経験論感覚論が主流になったが、ヒュームによって、それを突き詰めると懐疑論へと行き着くことが示されてしまった。


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