弁天島_(稚内市)
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弁天島
弁天島を南東から望む
所在地北海道稚内市
所在海域日本海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度31分35秒 東経141度55分9秒 / 北緯45.52639度 東経141.91917度 / 45.52639; 141.91917座標: 北緯45度31分35秒 東経141度55分9秒 / 北緯45.52639度 東経141.91917度 / 45.52639; 141.91917
面積0.005[1][2] km²
海岸線長0.5[3] km
最高標高20[3] m
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}北海道の地図を表示日本の地図を表示      
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弁天島(べんてんじま)は、北海道稚内市宗谷湾にある無人島[4]宗谷岬の北西約1.2キロメートル沖合に位置するであり、宗谷村珊内の集落からは北へ約1キロメートル離れている。日本国の施政下における域内では最北端の地にあたる[3]。島名は弁財天が祀られていたことに由来する。

島は玄武岩の貫入体であり[3]ホタテ貝のような形をしている[1]。周囲の岩礁暗礁には海鳥が多く見られ[1][3]、また周辺の海域はコンブウニの産地である[3]。島はトドの上陸地となっており、1980年代の調査では50頭ないしは60頭のトドが確認されている[5]。その後は頭数が減少し多い時でも20頭ほどにとどまっていたが、2004年平成16年)頃から増加し、2006年(平成18年)の調査で120頭、2017年(平成29年)には2,000頭のトドが上陸確認されて、同島と周辺海域で約6,000頭が確認されている[6][7]。宗谷アイヌに伝わる民話にトドを主人公とするものがあり、話の中で「サンナイの沖の島」にいたトドは「ポノサマイクル」にを打たれている[8]

島の南東には平島が存在する。アイヌに伝わる民話では、弁天島がサマイクルの妻であって平島はであるとするものや、二つの島を夫婦とするものがある。弁天島には「十センチ四方くらいの綺麗な模様」のような地形があり、これは「宝物を入れる箱」(ないしは「首飾りなど入れる箱」)であると伝えられている。また島には「の切れたような」地形も見られ、これはサマイクルの妻がつまずいた時に箱を縛っていた縄が切れてしまったためと伝えられている[9]

沿岸の珊内地区は稚内市中心部から東へ6キロメートルほど、宗谷岬からは西へ1キロメートルほどの位置にあり、北海道交易の最初期には「ソーヤ」と呼ばれて交易の中心地となっていた。「ソーヤ」 (so-ya) はアイヌ語で「岩嶼」「磯岩の岸」の意味と考えられている[10]。古くはアイヌ語でハチを意味するソヤ (soya) [11]に由来するという語源説も見られた。

なお現在の宗谷漁港(宗谷岬南東の宗谷港とは別の港)付近は元々は「ウェントマリ」(悪い泊地)と呼ばれていたが、交易地が珊内より移されて以降はこちらが「ソーヤ」と呼ばれるようになった[10]
歴史
近世

正徳2年(1712年)成立の『和漢三才図会』に掲載された「蝦夷之図」では、「サンナヒ」の沖に島を描き「此島渡リテ加良不止島ニ通ス」としている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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