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イスタンブールのアヤソフィア。ビザンティン建築の代表とされる。
建築様式(けんちくようしき、英語:Architectural style)とは、ある特定の特徴を持った建造物の様式、または、その建築手法、対象物を特徴づける特定の建築手法のことをいう。
概要
略論トマス・コールの『建築家の夢(1840年)』。西洋の歴史的なスタイルの建物のビジョンを示しており、エジプトのピラミッド、ペルシアの建造物、ギリシア、ローマ、ゴシック、ビザンティンの建築様式の建物が一堂に描かれた絵画となっている。
建築様式は、建物やその他の構造物を注目に値する、または歴史的に特定できる特徴によって特徴付けられている。
それは一般的に視覚芸術のスタイルのサブクラスであり、建築のほとんどのスタイルはより広い現代の芸術スタイルに密接に関連している。スタイルには、フォーム、建設方法、建築材料、地域の特性などの要素が含まれる場合がある。ほとんどの建築は、時間の経過とともに変化するスタイルの年代順に分類することが可能であり、変化するファッション、信念、宗教、または新しいスタイルを可能にする新しいアイデア、テクノロジー、または素材の出現を反映していると考えられている。
また、建築様式は、時と場所(つまり気候や時代)によって変化する。したがって、建築様式は、歴史と深く関わっている。例えば、ルネサンス期には古典復興の風潮のなか、ローマの建築様式を手本とした建造物が数多く建設されたし、また、ナポレオンの時代には、彼の皇帝としての威厳を示すために、ギリシャやローマの建築様式を真似た建築を建てる風潮や、彼のエジプト遠征の影響によるオリエンタルな雰囲気の様式の建築物があった。
また、建築様式は、建築家や依頼主らによっても変化する場合がある。例えば、19世紀のヴィクトリア朝期(美術的には、「ヴィクトリアン」と言った)等には、「様式」と言う価値観が発見された時期である。したがって、人々の間には、「それぞれ別の様式があるのならば、自分たちも好きなように様式が選べるのではないか」と言う考えも現れ、ヴィクトリア朝期は、建築様式の混在期となった。その時期、古来の文化・様式から学んだ建築から、既存の建築様式に反抗する建築様式も発生した。また、同じ建築家であっても、用途に合わせて様式を変えたりするようなこともあった。その後、装飾華美な建築から、モダニズム的な建築物に変遷していき、「建築様式」の流行が小刻みになっていった。そのため、現在では、一定の建築様式は見いだすことができない、とされている。
建築様式が成立するには、外観、フォーム、建設方法、建築材料、地域の特性、内装などの要素が含まれる。ほとんどの建築様式は、時代の経過とともに変化する事が多く、その時代の流行した美術の様式と密接に関連している。これは、その時代の流れとともに変化する美術の様式、信念、宗教、新しい技術の出現を反映し、変化する。従って、建築様式は社会の歴史から発生する。
様式は社会の歴史から生まる。それらは建築史の主題で文書化されていることが多い。建築様式が変遷すると、建築家が新しい建築様式を学び、それに順応するにつれて、通常は徐々に変化することにより建築様式は発展していったのであった。新しいスタイルは、ポストモダニズム(「モダニズム後」を意味する)など、21世紀に独自の言語を発見し、他の名前を獲得したいくつかのスタイルに分割された既存のスタイルに対する反抗にすぎない場合がある。
建築様式は他の場所にも広がることが多いため、他の国々が独自のひねりを加えながら、その起源の様式は新しい方法で発展し続ける。たとえば、ルネサンスのアイデアは1425年頃にイタリアで登場し、今後200年間でヨーロッパ全体に広がった。したがってフランス、ドイツ、英語圏、スペインのルネサンスは、同じスタイルでありながら独特の特徴を持っている。
建築様式はまた、植民地主義を通じて、彼らの母国から学ぶ外国の植民地によって、または新しい土地に移住する開拓者によって広がる。 1つの例は、18世紀後半にスペインの司祭によってもたらされ、現地の建築様式と融合してユニークなスタイルで構築されたカリフォルニアのスペイン的な様式である。
地域別の建築様式が望まれています。
サンピエトロ大聖堂、ルネサンス後期とバロック前期の建築。
ヨーロッパの建築史上の主な建築様式には、ギリシア建築、ローマ建築、ビザンティン建築、ロシア建築、新古典主義建築など。
また、建築様式の定義に当てはめると、ロマネスク様式はローマの建築様式を基にした、教会堂などにあわせ、鐘楼、ステンドグラス等を付け加えた箇所、また、アヤソフィア等に代表されるビザンティン建築では、アジア的なドーム、アーチなどのローマ建築から継承した特徴、等が特徴として挙げられる。
これらの建築様式は細かい分類の条件など地より様々な形で細分化する事ができ、例としてローマ建築は末期ローマ建築を包括する事が出来る。
西洋における建築様式の建物は、前期には神殿や公共建築物のために、中期には教会のための建築として発展した。また、後期には宮殿や市民の為の建築にも「様式」は用いられるようになった。
また、西洋の建築様式は明確に分類する事が出来ないことも少なくない。例として、ローマ帝国の滅亡後にローマ建築を継承した、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}緩やかに「ビザンティン建築」に進化して行ったと考えられてる。[誰によって?]
西洋の建築様式においては、そのスタイルが時代遅れになった後、復活と再解釈が発生することもある。たとえば、古典主義は何度も復活し、新古典主義としての新しい生命を見出した。それが復活するたびに、それは異なる意味合いや様式を帯びてゆくことが多い。スペインのミッションスタイル(Spanish Colonial architecture)は100年後にミッション・リヴァイヴァル建築(Mission Revival architecture)として復活し、すぐにスパニッシュ・コロニアル・リヴァイヴァル建築(Spanish Colonial Revival architecture)へと進化した。タージマハル
アジアの建築史上の主な建築様式には、ペルシア建築、ヒンドゥー建築、仏教建築、ヘレニズム、日本建築、イスラム建築、ムガル建築、チベット建築等が挙げられる。
アジアは西洋よりも広大、かつ民族の系統や文化も多岐にわたり、また、西洋の様に統一性を持つ事が多く無かった。そのため、アジアでは様式が開花し、それぞれ独特な進化を遂げた。また、アジアの他にもイスラム教の信仰される中央・北アフリカからインドネシア領までで使用され、イスラム建築と言われている。
西アジアや中央アジアの建築様式は、古代オリエントの建築様式(古代エジプト建築、ペルシア建築、イラン建築など)の要素を色濃く受け継ぎ繁栄したが、東アジアや東南アジアでは西アジアの建築様式の影響を受けつつも、それらとはまた異なった建築様式が開花した。