建礼門院右京大夫
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建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - 没年未詳)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。父は藤原(世尊寺)伊行。母は大神基政の娘での名手である夕霧。名は伊子という説がある。[1]

承安3年(1173年高倉天皇の中宮建礼門院平徳子に右京大夫として出仕。藤原隆信平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たという。建久6年(1195年)頃後鳥羽天皇に再び出仕した。

家集に隆信、資盛との恋の歌を中心とする「建礼門院右京大夫集」がある。

山路の露』の作者であるとする説がある。
和歌

いかにせむわが後の世はさてもなほ昔の今日を問ふ人もがな

書きつけばなほもつつまし思ひ嘆く心のうちを星よ知らなむ

脚注^ 角田文衛『日本の後宮』、学燈社、p.299

関連項目

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建礼門院右京大夫集

夜鶴庭訓抄

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更新日時:2020年10月25日(日)03:00
取得日時:2021/04/11 15:59


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