建寧府(けんねいふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の福建省南平市一帯に設置された。
概要に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県と豊国監を管轄した[1]。
1279年(至元16年)、元のとき、建寧府は建寧路と改められた[2]。建寧路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した[3]。
1368年(洪武元年)、明により建寧路は建寧府と改められた。建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和・寿寧の8県を管轄した[4]。
清のとき、建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した[5]。
1913年、中華民国により建寧府は廃止された。
脚注^ 『宋史』地理志五
^ 『元史』世祖紀七
^ 『元史』地理志五
^ 『明史』地理志六
^ 『清史稿』地理志十七
府
河南府
潁昌府
州
鄭州
滑州
孟州
蔡州
陳州
潁州
汝州
軍
信陽軍
河北東路
府
大名府
州
?州
滄州
冀州
瀛州
博州
棣州
莫州
雄州
覇州
徳州
浜州
恩州
軍
乾寧軍
永静軍
保定軍
信安軍
河北西路
府
真定府
州
相州
定州
?州
懐州
衛州
?州
深州
磁州
祁州
趙州
保州
軍
安粛軍
永寧軍