建国神話
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建国神話(けんこくしんわ)とは、そのを建国したとされる、あるいは神の血筋を引くとされる指導者が建国事業を行なったとする神話を指す。世界には多くの建国神話があり、現在の支配者が建国神話と関係があるとされる場合、支配の正統性の根拠とされる[注釈 1]。ただし、建国神話には、自らが支配者にふさわしいとする誇張や脚色また明らかに事実ではない記載も見られ、史実を反映したものとは限らない。また史実を反映したとされるものであっても、史実そのままとは限らない。
概要

アジアの始祖神話は、その始祖がどのように生まれたかによって、いくつかの類型があり、始祖がで生まれたという卵生神話、箱舟に乗って漂流してきたという箱舟漂流神話、などの動物から生まれたという獣祖神話、雷光日光などにあたって妊娠して生まれたという感精神話がある[1]。始祖神話を類型化し、それぞれが一定範囲に分布し、その分布が類型によって異なり、類型によって、文化境域が設定できることを指摘したのは、三品彰英であり、卵生神話は、インドネシア台湾など南方に分布、北限は朝鮮半島にまでおよび、新羅金官加耶高句麗にみられる[1]。箱舟漂流神話は黄海東シナ海南シナ海縁辺に分布する南方海洋神話である。獣祖神話は、モンゴル突厥など北アジアに分布し、感精神話はもっとも普遍的で、漢人の始祖神話はほとんどこれに属するが、その場合、雷電・星辰によるものが多く、日光によるものに限れば、満洲蒙古諸族が分布の中心となる。その中間的なものが、天降りの霊物によるもので、殷始祖のように玄鳥の卵を飲んで、というものがそれに含まれ、漢人と満洲・蒙古諸族とに等しく分布する。夫余の始祖神話は、卵のような大きさの氣が降ってきた、というものであり、感精神話の中間的な、天降りの霊物による類型に属し、卵があらわれるが、卵生ではない。高句麗は、日光感精神話と卵生神話の両要素をもち、満洲・蒙古的要素と、南方的要素との複合形態といえ、その意味では、夫余とは大きく異なる[1]
日本詳細は「日本神話」および「神武東征」を参照

日本の建国神話の形成がいつ頃かをうかがい知る記述として、欽明紀(『日本書紀』)に、百済王が新羅を攻めたが逆に討死してしまい、人質として日本にいた百済王子が帰国する際、蘇我臣が、「かつて百済が高句麗によって滅ぼされそうになった時、百済王が日本の建邦の神(建国神)を祀って、難を逃れたが、その後、祀らなくなったから、新羅に滅ぼされそうになっているのだ」と語り、日本の建国神について説明し、再び祀るよう薦める記述があり、少なくとも6世紀中頃には、建国に関する神話が形成されていたことがわかる内容である[注釈 2]
百済の建国神話との類型

のちに百済となる地域には沸流温祚という2人の王子がいたが、元は夫余の王子であり、南の方に国を作れる場所を探しに来る。兄は今のソウルに近い地の海岸に都を築くが、水が塩水ということで、不健康地で失敗する。対して弟はソウル近くの内陸に都を築き、繁栄した。弟を視察に来た兄は、自分には先見の明がなかったとガッカリして死んでしまう。その後、弟王が百済を築くことになる(百済#建国神話も参照)。

兄王はの原理を表し、弟王はの原理を表しており[2]、兄弟王が建国のために旅をし、兄が失敗し、弟が成功し、王朝を築く。
加羅の建国神話の降臨地名の類似

『駕洛国記(朝鮮語版)』の記述には、天から降りた加羅建国の始祖・首露王が亀旨(クシムル)峰に降りたとされるが、日本神話内の天孫降臨地の一つである高千穂峰万葉仮名で「久士布流(クシフル)多気(タケ)」(『日本書紀』第一の一書にも「クシフル」とある)で、降臨地名が類似する[3]。ただし駕洛国記は古事記、日本書紀よりもはるか後世に編纂された歴史書であり、建国神話の原型と見ることはできない。
差異

古代朝鮮の国々の建国神話と類型する一方で、朝鮮神話では天上界にあたる他界の記述が少なく[4]、日本の神々がそのままの姿で降臨するのに対し、朝鮮ではの形で降る場合が多く、「卵生型」と類別される[4](日本では渡来系氏族の伝承であるアメノヒボコの誕生譚が類型だが[5]、建国神話ではない)。高句麗の建国神話を記した広開土王碑文にも卵から生じたと記している。また、日本の天孫降臨においては随伴する神の存在が細かに記されているが、壇君神話に従者の記述があることを除けば、高句麗・新羅・加羅の神話において、随伴神は登場しない[4]。さらに、記紀では、荒ぶる神を平定するために降臨するが、『三国史記』や『三国遺事』内の新羅や加羅の神話では、村長が集まって、神が降りることを願った末に降臨する。

日本神話が神の側の視点で描かれているのに対し、朝鮮神話では神を迎える民衆側に重点が置かれている[6]
暦からの考察

『日本書紀』では、神武紀から20代安康天皇までが「儀鳳暦」で、雄略紀から41代持統天皇までが「元嘉暦」によって組まれている(小川清彦説)[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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