延安府(えんあんふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の陝西省延安市一帯に設置された。
概要に属し、膚施・延川・延長・門山・臨真・甘泉・敷政の7県を管轄した[1]。
金のとき、延安府は?延路に属し、膚施・延川・延長・門山・臨真・甘泉・敷政の7県と永平・万安・徳安・招安・永安の5寨と安定・安寨の2堡と楽盤鎮を管轄した[2]。
元により延安府は延安路と改められた。延安路は陝西等処行中書省に属し、直属の膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長の8県と?州に属する洛川・中部・宜君の3県と綏徳州に属する青澗・米脂の2県と葭州に属する呉堡・神木・府谷の3県、合わせて8県3州州領8県を管轄した[3]。
1369年(洪武2年)、明により延安路は延安府と改められた。延安府は陝西省に属し、直属の膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長・青澗の9県と?州に属する洛川・中部・宜君の3県と綏徳州に属する米脂県と葭州に属する呉堡・神木・府谷の3県、合わせて3州16県を管轄した[4]。
清のとき、延安府は陝西省に属し、膚施・安塞・甘泉・安定・保安・宜川・延川・延長・定辺・靖辺の10県を管轄した[5]。
1913年、中華民国により延安府は廃止された。
脚注^ 『宋史』地理志三
^ 『金史』地理志下
^ 『元史』地理志三
^ 『明史』地理志三
^ 『清史稿』地理志十
府
会寧府
州
肇州
隆州
信州
路
蒲峪路
合懶路
恤品路
曷蘇館路
胡里改路
軍司
烏古敵烈統軍司
中都路
府
大興府
州
通州
薊州
易州
?州
順州
平州
?州
雄州
覇州
保州
安州
遂州
安粛州
東京路