延仁寺
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延仁寺

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所在地京都市東山区今熊野字総山2
位置北緯34度58分57.6秒
東経135度47分1.5秒
山号洛東山
宗旨浄土真宗
宗派真宗大谷派
本尊阿弥陀如来
開基最澄
中興年明治16年(1883年
中興嚴如(大谷光勝)[1]
法人番号1130005000931

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延仁寺(えんにんじ)は、京都市東山区にある真宗大谷派寺院。大谷派では、宗祖親鸞の荼毘所とする。

本尊は、大谷派寺院としては珍しく舟型光背の阿弥陀如来立像で、阿弥陀三尊形式で安置される。
目次

1 沿革

2 親鸞の荼毘所

3 アクセス

4 脚注欄

5 外部リンク

沿革

寺伝では、天台宗の宗祖最澄が開基であるとされている。本願寺第三世覚如が著した『本願寺聖人伝絵』(『御伝鈔』)に、「鳥部野(とりべの)の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」と記されているように、浄土真宗の宗祖・親鸞の遺体を、荼毘(火葬)に付した寺院である。後に戦乱などの影響で廃寺となる。

当初は「西光寺」と称していたが、明治16年(1883年)に「延仁寺」と改称し、東本願寺第二十一代[2] 嚴如(大谷光勝)[1]により「荼毘所」を寄与される。
親鸞の荼毘所

延仁寺の道路の向かい地蔵堂の脇に「親鸞聖人御荼毘所」の碑が、隣接する延仁寺墓地の脇の「見真大師御荼毘所道」を登っていくと、「見真大師御荼毘所」の碑と親鸞の石像が祀られている。

なお、
浄土真宗本願寺派の寺伝では、現在の大谷本廟(西大谷)に隣接する地に「延仁寺」があったとされており、大谷本廟の飛び地境内には、同派により「親鸞聖人荼毘所」の碑が祀られている。

アクセス

京都市営バス「今熊野」下車、徒歩20分。

脚注欄^ a b 嚴如…旧字体が正式表記。「厳如」と新字体で表記する場合もある。
^ 正式には「本願寺」。一般には通称である「東本願寺」と呼称するので、「東本願寺第二十一代」と表記した。

外部リンク

親鸞聖人御荼毘所(京都市)

見真大師御荼毘所道(京都市)










浄土教
上位分類大乗仏教
地域別仏教インド | 中国 | 日本
日本の主な宗旨天台宗(天台浄土教) | 融通念仏宗 | 浄土宗 | 浄土真宗 | 時宗
如来釈迦如来 | 阿弥陀如来
菩薩観世音菩薩 | 大勢至菩薩 | 薬王菩薩 | 薬上菩薩 | 普賢菩薩 | 法自在王菩薩 | 白象王菩薩 | 獅子吼菩薩 | 陀羅尼菩薩 | 虚空蔵菩薩 | 徳蔵菩薩 | 宝蔵菩薩 | 金蔵菩薩 | 金剛菩薩 | 山海恵菩薩 | 光明王菩薩 | 華厳菩薩 | 衆宝王菩薩 | 月光王菩薩 | 日照王菩薩 | 三昧王菩薩 | 定自在王菩薩 | 大自在王菩薩 | 大威徳王菩薩 | 無辺身菩薩
思想・基本教義称名念仏 | 末法思想
経典浄土三部経」(『仏説無量寿経曹魏康僧鎧訳 / 『仏説観無量寿経劉宋?良耶舎訳 / 『仏説阿弥陀経姚秦鳩摩羅什訳)
『般舟三昧経』 支婁迦讖
関連人物【インド】釈尊 | 十大弟子 | 龍樹 | 天親
【中国】廬山の慧遠 | 曇鸞 | 道綽 | 善導 | 懐感 | 少康
【日本】空也 | 良源 | 慶滋保胤 | 源信 | 永観 | 良忍 | 珍海 | 覚鑁 | 源空(法然) | 隆寛 | 弁長 | 親鸞 | 証空 | 一遍 | 覚如 | 蓮如 | 良寛 | 小林一茶 | 清沢満之 | 山崎辨榮 | 鈴木大拙 | 曽我量深 | 金子大栄 | (妙好人)
主要注釈書龍樹『十住毘婆沙論』「易行品」 | 天親『浄土論』(『往生論』) | 曇鸞『浄土論註』(『往生論註』) | 善導『観経疏』 | 源信『往生要集』 | 法然『選択集』 | 親鸞『教行信証』
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更新日時:2019年2月6日(水)13:25
取得日時:2019/08/05 11:41


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