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疑問点:「廃線の要因」の分類が恣意的
1985年に廃止された倉吉線(2023年)
廃線(はいせん)とは、鉄道路線などの営業を廃止すること。またはその廃止された路線のこと。事務手続き上の扱いは「休止」となっているが、実態としては廃線状態になっている場合も含めることもある。
日本においては、かつては鉄道の廃止は「許可制」だった。国は鉄道事業者から提出された申請により廃止を許可するか否かを判断し、許可された場合のみ廃止が可能だった。1999年の鉄道事業法改正では、国の許可を得る必要がなくなり、廃止日の1年前までに廃止届を提出することで鉄道事業者の独断で廃止にすることが可能になった。これにより廃止のハードルは大きく下がり、赤字路線の廃止が急増した。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
廃線の要因
出典検索?: "廃線"
旧士幌線 タウシュベツ川橋梁。ダム建設に伴った線路切り替えによる廃線区間にある。木曽森林鉄道廃線跡
ある鉄道路線が廃線になる要因としては以下のようなものが挙げられる。
なお、下記の複数の条件に当てはまりながらも地道な努力と周辺の支援により運行を継続している鉄道もある。銚子電気鉄道もその一つである。 この要因が廃線の原因としては最も多い。その多くはローカル線であり、開業以来1度も黒字になったことがなく廃線になることも珍しくない。日本の鉄道では国鉄(JR)やその他の鉄道会社が自主的に廃止を決定したもののほか、1968年(昭和43年)から行われた赤字83線に指定されたもの、1980年代に行われた国鉄再建法に基づく特定地方交通線に指定されたものなどがある[注釈 1]。 太平洋戦争中に「不要不急線」として休止されレールなどの資材が剥がされ、戦後鉄道路線として復活されないまま廃止となった路線[注釈 2] もある。 旅客・貨物の減少の要因としては、1960年代まではバスやトラックの発達が主要因であったが、それ以降は自家用車の普及(モータリゼーション)が主要因となっている。仙北鉄道の場合、営業末期には旅客・貨物ともに最盛期より減少していたが、赤字を出すほどではなかった。しかし車両および施設の更新に多額の費用がかかることから、鉄道を存続させるよりもバスに転換する方が得策という経営的判断による廃止であった。すでに昭和初期においてバスやトラックとの競合に敗れて廃線・廃業となっていた軽便鉄道や人車鉄道も多かった[注釈 3]。 また沿線人口の減少(過疎化)が利用客の減少を招く場合も多い。近郊部でも国鉄改革に伴う、貨物輸送の大幅な変更(詳しくは1984年ダイヤ改正での貨物列車整理を参照)による車扱貨物の減少で別府鉄道のように廃線に追い込まれた路線もある。 ローカル線沿線の人口の減少については、1960年代から1970年代には鉱業・林業の衰退や離農の増加など産業構造の変化によるものが要因の一つであったが、21世紀初頭では出生率の低下による影響も大きい。自家用車の普及により通勤需要の少ないローカル線では高校生を中心とした通学利用が主要な収入源(実際は運賃割引率が高い通学利用だけでは採算が取れないことが多い)となっているため、少子化による通学利用客の大幅な減少は廃線につながる要因の一つとなっている[注釈 4]。 利用減少の赤字による廃線ではあるが、鉄道会社そのものの倒産や廃業など経営破綻をしたことが直接の原因となって廃線となった例もある。この例としては武州鉄道・磐梯急行電鉄・雄別鉄道がある。また、布引電気鉄道や光明電気鉄道は末期には事実上の経営破綻状態で、電気代が支払えずに送電を止められとどめを刺されたことで廃線となった。 慢性的な赤字状態で、ついには地域の公共交通の維持のためとして地方公共団体から支給されていた補助金が打ち切られて会社存続が不可能となり会社解散・廃線となったものもある。この例としては野上電気鉄道やくりはら田園鉄道がある。第3セクターの三木鉄道の場合は、慢性的な赤字と三木市の財政難のため、市長選挙で鉄道廃止派の薮本吉秀が当選したことが直接のきっかけとなり、廃線となったものである。 接続する路線が廃線となったことで連鎖的に廃線となった例もある。肥前電気鉄道がそれで、この場合は起点の塩田駅 また東武日光鋼索鉄道線も第二いろは坂(道路)の開通と、馬返駅で接続していた東武日光軌道線の廃止によって廃線となった。別府鉄道野口線の場合は接続する国鉄高砂線の廃止前に廃止されたが、同線の廃止への動きの影響を受けたものだといえる。これに近い例として石川県南部の温泉地を結ぶ観光路線であった北陸鉄道加南線は、国鉄接続駅に優等列車が停まらなくなったことがだめ押しとなり、廃線に追い込まれた。
経営の悪化による廃線
利用者や貨物の減少
経営破綻2008年4月1日に廃止された三木鉄道三木線の廃線
接続路線の廃線の影響