廃墟
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朝鮮の雑誌については「廃墟 (朝鮮の雑誌)」をご覧ください。
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廃墟となったアレ城(オランダ古代ギリシアに建てられたパルテノン神殿の廃墟(アテネ

廃墟(はいきょ、廃虚とも、英語:Ruins、ドイツ語:Ruine)とは、建物集落都市鉄道等の施設が長期間使われず、荒廃した状態になっているものを指す。

放置、撤去される廃墟ばかりではなく、貴重な遺跡[1]あるいは世界文化遺産(例:軍艦島)や有形文化財[2]として保護されることもある。朽ち行く姿に芸術的価値を見出し絵画や写真の題材とされたり[3]、(不法侵入ではない)観光の対象とされたりする廃墟もある[4]
概要

廃墟とは建物、施設、街などが使用されずに荒れ果て、そのまま放置されているものを言い、建物などが使われなくなったとしても、他用途に転用され適切な維持管理が続けられていたり、あるいは取り壊されて更地化されたりしていれば、廃墟とはいえない。跡地利用も難しく、管理を続けるのも困難な場合には、建物、施設などが放置に任され、歳月とともに朽ちて崩壊し、あるいは草木に覆われて廃墟化の過程が進行する。

建設を発注した企業倒産した、あるいは公共事業の一環として建設されたがその公共事業が中止になったなどの理由で、建設中の状態のまま放棄され、全く使われていない建築物、これらも廃墟に含まれる。

ナチス・ドイツ強制収容所跡や虐殺行為で無人化した村(オラドゥール=シュル=グラヌ)、広島市原爆ドームハワイへの真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナなどある時代の悲惨な状況を後世に伝えるため、破壊あるいは放棄され廃墟同然となった状態で意図的に当時のまま保存している例もある。
ロマン主義的廃墟趣味『ローマの景観』より「コンスタンティヌスとマクセンティウスのバジリカ」。ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ作(1749 - 1750年)。

ルネサンスによってヨーロッパでは古代ギリシア古代ローマの再評価が行われ、それまでうち捨てられていたそれらの廃墟は古代文明の偉大さを示す遺物として関心を引くようになった[5]18世紀イタリアでは考古学が盛んになり、多くのローマ遺跡が人目を引くようになった。そんな中、版画家ピラネージは多くのローマ遺跡のスケッチを版画として出版した。ピラネージの描く遺跡は見る者に劇的な印象を与え、廃墟の持つ美的対象としての魅力を世に知らしめた[5]楡の木のある僧院 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ作 1810年

19世紀後半、イギリスドイツロマン主義でも、こうした廃墟、特に古代ギリシア、ローマのそれに関心が集まり、競ってその方面に出かける文人やそうした古代遺跡を版画や絵画に描い芸術家り、あるいは君主の中には領地の中に故意に人工の古代の廃墟(いわゆるフォリー)を配した庭園を作らせた者もいた(特に古代ローマ時代の様式が好まれた)。

こうした廃墟を好んで作品のモチーフとした画家に、ドイツのカスパー・ダーヴィド・フリードリヒらがいる。また、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーも廃墟絵画を好み、自ら計画した建築物や都市も前提として古代ギリシアや古代ローマのように偉大で立派な廃墟となることが条件であったという(「廃墟価値の理論」)。彼が計画したうち実際に築かれた建物は、皮肉にも敗戦へ向かう過程の空襲やベルリンの戦いで一時廃墟になったことになる。

日本においては、2000年前後、写真の世界で廃墟を被写体にした作品が若者を中心に好まれる傾向が生まれた。


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