座摩神社
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この項目では、大阪市の神社について説明しています。大阪府大東市の神社については「坐摩神社 (大東市)」をご覧ください。

坐摩神社

拝殿
所在地大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分51秒 東経135度29分55秒 / 北緯34.68083度 東経135.49861度 / 34.68083; 135.49861座標: 北緯34度40分51秒 東経135度29分55秒 / 北緯34.68083度 東経135.49861度 / 34.68083; 135.49861
主祭神坐摩神
(生井神、福井神、綱長井神、波比岐神、阿須波神の総称)
社格式内社(大)
(称)摂津国一宮
官幣中社
別表神社
創建神功皇后年間
本殿の様式流造
札所等神仏霊場巡拝の道第49番(大阪第8番)
例祭4月22日(花祭)
主な神事懸鳥祭(12月2日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}坐摩神社
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三ツ鳥居摂津名所図会「坐摩神社」「久太郎町四丁目渡辺」の街区表示板

坐摩神社(いかすりじんじゃ、ざまじんじゃ)は、大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺にある神社式内社(大社)で、摂津国一宮を称する。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「白鷺」。

正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれる。
概要

大阪市中心部の船場にある古い神社で、同地の守護神的存在である。南御堂の西隣に位置し、境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三ツ鳥居」が迎える。

住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰されている[1]。最終の神階は従四位下勲八等。
祭神

祭神は以下の5柱[2]で、「坐摩神」と総称している。

生井神(いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)

福井神(さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)

綱長井神(つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)

波比祇神(はひきのかみ) - 竃神(屋敷神。庭の神)

阿須波神(はすはのかみ) - 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)

祭神の5柱の神は、『古語拾遺』等によると神武天皇高皇産霊神天照大神の神勅を受けて宮中に祀ったのが起源とされ[3]神祇官西院で坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって祀られていた。

延喜式』によれば、坐摩には都下国造(つげのくにのみやつこ)の7歳以上の童女を充てるとされ、西から来る穢れを祓う儀式を行うといわれる。なお、都下とはこの神社が最初にあった淀川河口の地で、摂津国の菟餓野(とがの、都下野とも書く。現在の上町台地一帯)を指すと見られ、世襲宮司渡辺氏はこの都下国造の末裔でもあり、滝口武者嵯峨源氏の流れを汲むともいわれる。

「いかすり(ゐかすり)」の語源には諸説あるが、坐摩神社では、「居住地を守ること」という意味の「居所知」(ゐかしり)の転と説明している。また、『延喜式』には「さかすり」の訓も記されている。
歴史
神功皇后の創建

当社の始まりは、神功皇后三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀り花を献じたとされ(献花祭のいわれ[4])、応神天皇の3年に社殿を奉じたと伝わる[5]。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。同社の神紋白鷺なのも、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷なされたことに由来する[6]
渡辺津の守護神

創建時の社地は現在と異なり、渡辺津・窪津・大江、古くは浪速沼[5]などと呼ばれた、かつての淀川河口である[8]。旧社地は遷座後に御旅所が置かれた現在の中央区石町(こくまち)に推定され、天神橋 - 天満橋間の南、近世以降「八軒家」と呼ばれる地におおむね該当する。なお、石町には摂津国の国府も置かれており、町名は国府の転訛といわれている。平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こした。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となる。

渡辺津は窪津ともよばれ、からの船が着く熊野古道の基点でもあった。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったとされる[5]

天慶2年(939年)以来、祈雨11社のうちに入ってたびたび雨乞いの祈祷を行っている。
船場への移転上方落語寄席発祥の地の石碑

天正11年(1583年)の羽柴秀吉による大坂城築城に際し、西横堀川に近い現在地に遷座した。本町通にも近く、多くの物売りや見せ物が門前に集まった。特に古着屋は「坐摩の前の古手屋」として明治時代より「南北数十町、俗に座摩の前」と呼ばれて名高く[5]上方落語にも「古手買」「壺算」などで登場する。また、初代桂文治が初めてこの神社で寄席を開いたとされている。この神社の近くで後の「そごう」が古手屋として生まれ、船場が繊維の町として発展するきっかけになった。また西横堀川沿いには陶器問屋が並んだが、それは当社の末社に陶器神社があることによる。
明治以降

明治元年に明治天皇[10]が大阪を訪れた折に津村別院を在所として坐摩神社に参拝した記録がある[9]


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