座喜味一幸
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日本政治家座喜味 一幸ざきみ かずゆき
生年月日 (1949-12-15) 1949年12月15日(71歳)
出生地宮古民政府平良市
(現・沖縄県宮古島市平良字西仲宗根)
出身校琉球大学農学部
前職宮古土地改良区事務局長
所属政党(自由民主党→)
無所属
第3代 宮古島市長
当選回数1回
在任期間2021年1月25日 - 現職
沖縄県議会議員
選挙区宮古島市選挙区
当選回数3回
在任期間2008年6月25日 - 2020年6月24日
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座喜味 一幸 (ざきみ かずゆき、1949年12月15日 - )は、日本政治家。第3代宮古島市長(1期)。元沖縄県議会議員(3期)。目次

1 来歴

2 宮古島市長選挙

2.1 コロナ禍中の選挙運動


3 脚注

4 外部リンク

来歴

1949年アメリカ統治下の沖縄宮古民政府平良市(現・沖縄県宮古島市平良字西仲宗根)に生まれる。平良市立北小学校(現・宮古島市立北小学校)、平良市立平良中学校(現・宮古島市立平良中学校)、琉球政府立宮古高等学校(現・沖縄県立宮古高等学校)卒業[1]1972年琉球大学農学部卒業[2]。同年、沖縄の本土復帰沖縄返還)に伴い設置された沖縄総合事務局に入局。

1995年、宮古土地改良区事務局長就任。

2008年沖縄県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選[3]2016年3期目の当選を果たす。

2017年1月14日、自民党を離党。座喜味は同年1月22日の宮古島市長選挙で自民党が推薦した現職の下地敏彦ではなく、前市議の真栄城徳彦の支持を表明していたことから、「組織に迷惑を掛けないように離党を届けた」とその理由を述べた[4]。2017年9月に自民党会派に復帰した[5]

2019年1月29日、全会派で合意していた辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票の条例改正案に反対票を投じ造反[6]

2020年の県議選は無所属で立候補し、次点で落選。

2021年1月17日投開票の宮古島市長選に、立憲民主党日本共産党社会民主党沖縄社会大衆党の推薦を受け[7]、無所属の新人として立候補。現職の下地敏彦を下して初当選した。1月25日、宮古島市長に就任。
宮古島市長選挙

県議時代は対立してきた玉城デニー沖縄県知事オール沖縄勢力のほか、保守系の一部も座喜味の支援に回り、保革共闘の「ワンチームみゃーく」を形成して、選挙戦を展開した。対立候補は、保守系市長の会「チーム沖縄」会長で、現職の下地敏彦(自民・公明推薦)であり、事実上の保守分裂選挙となった[8]。地元選出の衆院議員西銘恒三郎下地幹郎の両氏らが宮古島入りし、下地支援を訴えたほか、菅政権は菅義偉首相の秘書と自民党職員2人を下地の事務所に派遣し、地方選としては異例の態勢を敷いた。また、告示前には元防衛相小野寺五典自民党組織運動本部長も現地入りし、2019年以降に駐屯した約700人の陸上自衛隊関係者らへのてこ入れを図った。中国との距離が近い離島では、陸上自衛隊の駐屯地整備など政府方針を歓迎する向きもあり、米軍普天間基地宜野湾市)の名護市辺野古への移設で政府と対立する沖縄本島とは温度差も生じ[9]保守地盤で「反玉城県政」の牙城という印象も強く、自民党幹部らは下地の勝利を信じていた。しかし、前回の選挙で大きな争点となっていた陸上自衛隊配備計画は、2019年3月に宮古島駐屯地が開設され、宮古島での配備がほぼ完了したことから、両候補ともに容認の姿勢で今回の選挙では争点にならず[10]、「市政刷新」のスローガンのもと保革共闘が実現したことや、多選とされる4期目を目指す現職への批判も高まっていたことなどを受け[11]、結果は、座喜味が下地を2782票差で破り、初当選を果たすこととなった[12][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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