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庄野 真代
生誕 (1954-12-23) 1954年12月23日(69歳)
出身地 日本 大阪府[1]大阪市西淀川区
ジャンルポップス、J-POP
職業シンガーソングライター
担当楽器歌、キーボード
活動期間1976年 - 1980年、1982年 - 現在
レーベル日本コロムビア、ファンハウス、東芝EMI
事務所ルフラン
公式サイト庄野真代オフィシャルサイト
庄野 真代(しょうの まよ、1954年12月23日 - )は、日本の女性シンガーソングライターである。本名:庄野 眞代[2](読み同じ)。血液型B型[1]。大阪府[1]大阪市西淀川区出身。ルフラン所属。
サーカスの叶正子、同期デビューの渡辺真知子とは友人関係にあり、共演することも多い。
2000年代以降は、音楽を通じた社会貢献・国際貢献を志してボランティア活動やNPO法人の設立なども行っている[1]。また参議院選挙への立候補歴もある(後述)[3][4]。2014年より法政大学人間環境学部兼任講師[1]。子ども食堂しもきたキッチン主宰[1]。 少女時代は病弱で、オルガン教室に通うなどしていた。小学校高学年から活発になり、中学時代は生徒会活動に没頭する。大阪府立東淀川高等学校への入学と同時に演奏活動を始め、以後はオーディションへの参加に明け暮れていた。大学受験に失敗して浪人することになった後も音楽活動を続け、ヤマハボーカルオーディション
来歴
デビューまで
音楽活動をやめることを考えていた20歳のとき、最後に何か音楽活動の証になることをしようと思って「フォーク音楽祭」に参加したところ、予選を次々と突破。関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされた。 1976年にコロムビアからデビューアルバム『あとりえ』を発売してレコード・デビュー、都会派ニューミュージックの歌手として注目される。 2年後の1978年には代表曲「飛んでイスタンブール」が大ヒットとなり、同年12月31日には『第20回日本レコード大賞』中山晋平賞(のち作曲賞)受賞と同時に、『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。 その他のヒット曲には、1978年の「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」、1980年の「Hey Lady 優しくなれるかい」などがある。
「飛んでイスタンブール」がヒット