庄内空港
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庄内空港
Shonai Airport

2022年1月24日撮影
IATA: SYO[1] - ICAO: RJSY[1]
概要
国・地域 日本
所在地山形県酒田市
母都市酒田市・鶴岡市
種類商業
運営者山形県[2]
運用時間7:00 - 22:00[2]
開港1991年10月1日[2][3]
標高22[2] m (72 ft)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度48分44秒 東経139度47分14秒 / 北緯38.81222度 東経139.78722度 / 38.81222; 139.78722座標: 北緯38度48分44秒 東経139度47分14秒 / 北緯38.81222度 東経139.78722度 / 38.81222; 139.78722
公式サイト庄内空港
地図
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}SYO[1]山形県の地図を表示SYO[1]日本の地図を表示庄内空港の位置
滑走路

方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
09/27[2] I 2,000[2]×45[2] 舗装

統計(2022年度)
旅客数270,655人
貨物取扱量442t
航空:空港管理状況 - 国土交通省
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庄内空港(しょうないくうこう、: Shonai Airport)は、山形県庄内地方酒田市鶴岡市にまたがり立地する地方管理空港である[4]空港ターミナルビルは酒田市浜中に所在している[5]愛称は「おいしい庄内空港」[2][6][7]
概要庄内空港の空中写真。2016年撮影の10枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1970年代前後から、全国的に高速交通時代を迎えたが、庄内地方はそれに取り残されたため、空港設置を望む声が上がった。そうした要望を踏まえ地元自治体で組織される庄内開発協議会は、1970年7月、庄内空港建設を提唱した。また県も庄内空港建設調査会を設置。同調査会は『山形県庄内空港整備計画』を策定し、庄内地域の経済発展と情報格差是正に庄内空港の必要性を強調するとともにジェット機空港の建設を提言した[8]。これを受け県は、庄内空港建設を県の重要開発事業として定め、国への働きかけを開始した。しかし、整備計画で建設予定地として提示された三川町において「庄内の美田をつぶすな」との声が起こり、建設推進の動きは止まってしまった[8][9]

その後、全国的に高速交通網の構築が進展する中、庄内地方は大都市(東京大阪仙台)到達まで陸路では半日を要する「陸の孤島」状態が依然として解消されないことに焦燥を募らせた庄内14市町村(当時)の議会が1980年7月、『庄内空港建設促進に関する決議』を可決、さらに翌年1月には、地元の各団体の代表者が結集し、庄内空港建設促進期成同盟会(会長前田巌)が結成され[10]、前田の主導によって関係各方面への陳情や庄内全戸での100円募金と署名運動さらには啓蒙等が活発に繰り広げられた[11][12]

1986年11月、庄内空港建設が組み込まれた『第五次空港整備5箇年計画』が閣議決定されたことによって庄内空港の開設は決定した。だが、空港建設地である酒田市浜中の地権者の同意を取り付ける段階で「庄内空港を考える会」という建設反対グループが組織されたほか、反対グループを支援する「浜中の地権者を守る会」まで生まれ、さらには共有地権者まで現れる事態となった。反対理由は「行政不信」や「防風防砂対策への不信」などを主としたが[13]、県による懸命な説得と設計の一部変更、砂丘農家に対する配慮の約束が交わされ、1988年6月、反対者と知事らとの間で協定書が締結され建設反対運動は解決をみた[14]。また最大の反対理由として挙げられていた防風防砂対策への不信の解消策の一つとして、黒松など5万本を植栽した庄内空港緩衝緑地整備事業が実施されることになった[13][15][16]

1988年6月に空港本体の起工式が挙行され、工事は順調に進み、竣工の予定半年前に完成した。このため開港日も半年ほど早まり、第47回国民体育大会(べにばな国体)の前年である1991年10月1日に開港した[2][3][14]。また、空港の開港は、複数の工業団地を造成し、団地に進出した企業の需要を見込んだ上での開港でもあった[2]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}庄内地方と隣接する秋田県にかほ市は、秋田空港より近くまた無料の駐車場があるため、利用圏内になっている[要出典]。

ローカル線扱いの東京線は、庄内地方から東京へ短時間で直行できる唯一の高速交通手段で、陸路よりも有利なため、搭乗率は高く収益性が良い。そのためそれまで1日3便であった運航が、2006年のナイトステイの実現により1日4便に拡大されることになった[17]全日本空輸(ANA)グループの独占路線のため競争が働かない関係から「特割」などの事前購入割引運賃の割引率は低く設定されている。主な利用客は、地元関係者や帰省者に加えて、誘致した企業のビジネス(出張)関係である。年間利用客数は、国内356,529人、国際580人(2013年度)[18]。搭乗率低迷により、2007年度限りで新千歳便が、2008年度限りで伊丹便が廃止となった[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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