庄内交通
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庄内交通株式会社
Shonai Kotsu Co.,ltd.

種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
997-0031
山形県鶴岡市錦町2-60
設立2006年10月1日
業種陸運業
法人番号8390001008269
事業内容乗合バス事業、貸切バス事業他
代表者國井英夫 (代表取締役会長)
村 紀明 (代表取締役社長)
資本金1億円
純利益1億2663万3000円
(2023年3月期)[1]
総資産13億6407万7000円
(2023年3月期)[1]
主要株主庄交コーポレーション
外部リンクhttps://www.shonaikotsu.jp/
特記事項:2006年10月1日に株式会社庄交ホールディングスから陸運業等の事業を譲り受ける目的に設立。
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庄内交通株式会社(しょうないこうつう、英称:Shonai Kotsu Co.,ltd.)は、山形県鶴岡市に本社を置くバス事業者。山形県庄内地方を中心に路線網を持つ。
概要

1943年10月1日、戦時統合によって庄内地方における地方私鉄会社であった庄内電鉄[2]バス会社であった鶴岡合同自動車[3]、鶴岡出羽自動車、酒田乗合自動車、本間自動車商会の合併によって資本金150万円で庄内交通として設立される[4]。戦後、出羽三山参詣を目的とする有料道路である羽黒山有料道路湯殿山有料道路の供用を開始したほか、乗客も年々増加し運輸事業者として安定した成長を遂げた。

しかし、昭和40年代に入り庄内地方にもモータリゼーションの波が押し寄せ、その影響から乗合バスの乗客は右肩下がりとなり、1972年には給与の遅配などから組合が半月にわたりストライキを行い[5]、会社存亡の危機に立たされた。この事態を受け当時の役員は総退陣した。以後、庄内交通は主力銀行の荘内銀行からの支援を得ながら借入金の整理や事業の再編に取り組み、1975年3月31日には不採算となっていた鉄道事業の湯野浜線を廃止したほか、遊休不動産の処分も進めた。またバス事業のみでは、会社を安定的に継続させることは困難であるとの認識から、新たな収益源として社有地の再開発へと乗り出した[5]
不動産事業

この方針に則り、鶴岡市錦町にバスターミナル併設のショッピングセンター(SC)として庄交モール(現:エスモール)を建設。同SCは1978年11月にダイエー鶴岡店をキーテナントとして開業した。またSCに近接してホテルも建設し、1981年4月7日、子会社の庄交開発が第一ホテルとの提携によって運営する第一イン鶴岡(現:東京第一ホテル鶴岡)も開業した。さらに1991年10月の庄内空港開港を見据え同ホテルに接続しホテルアネックスとオフィス層からなる鶴岡SSビルを建設したほか[6]、同空港開港にあたっては全日空と庄内地区総代理店契約を締結し、グランドハンドリングおよびリムジンバス運行も開始した。これらに加え、慢性的な路線バス事業の低迷に対処するため、赤字路線を子会社を設立して移管。地域密着を図るべく、あつみ交通、庄交小型バス、羽越観光バス、松山観光バス等を設立した[5]
多角化

かつては総合生活サービス企業を標榜し多角化を進め、1988年には庄交ストアを設立。同社がダイエーとFC契約を結び、湯野浜店(鶴岡市)、亀ヶ崎店(酒田市)などを開業した。また朝日村(現:鶴岡市)に開設した庄交ファミリースキー場の運営を目的に庄交索道も設立したほか[7][8]フィットネスクラブのプラスワンの運営も開始した。さらに1993年10月26日には、山形自動車道鶴岡インターチェンジの供用開始を見込み、近隣にドライブイン形式の大規模な物産店舗として庄内観光物産館を開業した。このほか1996年4月には、鶴岡市、金融機関等と共に設立した第三セクター「庄内フィッシング・ビレッジ」が運営する『釣りバカ日誌』の主人公・浜ちゃんをシンボルとした釣り文化の展示や物販を行う「出羽庄内釣りバカ会館」を鶴岡市伊勢原町にオープンさせたが、入館者が想定を大幅に下回り赤字がかさんだため、2001年に同館は閉館した[9]。これら以外にもゴルフ練習場など、最盛期にはグループ企業を23社ほど擁していた[5]

2003年5月1日、庄内交通は不動産や流通部門を切り離し、バス事業など旅客部門に特化し、財務基盤の安定と収益力の増強を目的に庄交コーポレーションを設立。庄内交通はバス運行に専従する体制となった[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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