広電本社前停留場
停留場全景
ひろでんほんしゃまえ
Hiroden-honsha-mae
(トランヴェール・エクスプレス)
◄U6 日赤病院前 (0.4 km) (0.2 km) 御幸橋 U8►
広電本社前停留場(ひろでんほんしゃまえていりゅうじょう、広電本社前電停)は、広島県広島市中区千田町三丁目にある広島電鉄宇品線の路面電車停留場である。駅番号はU7。広島電鉄の本社は当停留場の東に位置する[2]。
案内表示などでは「広電前」と省略される[3]。 当停留場は1912年(大正元年)、宇品線が前身の広島電気軌道の路線として紙屋町から御幸橋までの区間で営業を開始した際に開設された。停留場のある千田町には当時自社の発電所が設けられていたため、開設時の停留場名は発電所前停留場(はつでんしょまえていりゅうじょう)であった[4]。その後1917年(大正6年)に広島電気軌道は広島瓦斯と合併し広島瓦斯電軌となり、千田町には同社の瓦斯電軌運輸部が置かれた[4]。1927年(昭和2年)ころには停留場名も電鉄前停留場(でんてつまえていりゅうじょう)に改称されている[5][6]。いっぽう千田町発電所については広島電気
歴史
太平洋戦争下の1942年(昭和17年)には広島瓦斯電軌から運輸部門が独立して広島電鉄が設立され、その本社は当地に置かれた[4]。しかしその3年後の1945年(昭和20年)8月6日に広島市に原爆が投下され、宇品線をはじめ広島電鉄の市内電車は全線が不通となる[5]。本社屋も被害を受けたが、郊外の楽々園遊園地にその機能を移しつつ復旧を進めた結果、千田町変電所の再稼働により8月中には当停留場から向宇品までの区間が運行を再開、翌月には紙屋町方面の路線も運行を再開した[4][5]。千田町に本社機能が戻されたのは被爆から1年後のことである[4]。
停留場名は1958年(昭和33年)、広島電鉄が自社の略称をそれまでの「電鉄」から「広電」に改めたことに呼応して広電本社前停留場に改称された[4]。2012年(平成24年)には前身となる広島電気鉄道の創立、市内電車の開業から100周年を迎えたことを記念して、停留場の上屋がヨーロッパ風に改装された[8][9]。
2018年(平成30年)3月、電停を拡幅し、待合所も完備した電停にリニューアル。
年表
1912年(大正元年)11月23日 - 宇品線開業とともに、発電所前停留場として開業[5]。
1927年(昭和2年)頃 - 電鉄前停留場に改称[5]。