広辞苑
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この項目では、国語辞典について説明しています。当書が命名の由来となった不条理ギャグ漫画については「コージ苑」をご覧ください。

三省堂がかつて発行していた中型国語辞典『広辞林』とは異なります。
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『広辞苑』
『広辞苑』第七版
編集者新村出
発行日初版:1955年5月25日
第2版:1969年5月16日
第3版:1983年12月6日
第4版:1991年11月15日
第5版:1998年11月11日
第6版:2008年1月11日
第7版:2018年1月12日
発行元岩波書店
ジャンル国語辞典
日本
言語日本語

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『広辞苑』第二版

『広辞苑』(こうじえん)は、岩波書店が発行する中型の日本語国語辞典[注 1]。編者は新村出であり、第一版は1955年に刊行された。最新の第七版は2018年に刊行され、約25万語を収録する。百科事典の役割を兼ね備え、図版は3000点を超える。中型国語辞典として三省堂の『大辞林』と双璧をなし、情報機器に電子辞書の形で提供されることも多い。
沿革
『辞苑』誕生

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『広辞苑』の出発点となる素案は、大正末期から昭和初年にかけ、民族民俗学考古学の書籍を多数世に送り出した岡書院店主の岡茂雄による。1930年(昭和5年)末、不況下の出版業が取るべき方策を盟友岩波茂雄に相談の折、「教科書とか、辞書とか、講座物に力を注ぐべし」との助言を得て、中・高生から家庭向きの国語辞典の刊行を思い立ち、旧知の新村出に依頼したのが発端となる。当初、新村は興味がないと断るも、岡の重ねての依頼にしぶしぶ引き受ける。その際、新村の教え子の溝江八男太に助力を請い、その溝江の進言により百科的内容の事典を目指すこととなる。書名は、岡が新村のために企画した長野県松本市での「国語講習会」での懇談の席上、新村考案の数案の中から決められた。「辞苑」の書名は、東晋葛洪の『字苑』にちなんだもの。

編集が進むにつれ、零細な岡書院の手に余ると判断した岡茂雄は、大手出版社へ引き継ぎを打診。岩波茂雄には断られるも、岡の友人渋沢敬三を通して事情を知った博文館社長大橋新太郎から強い申し入れがあり、『辞苑』は博文館へ移譲された。『辞苑』移譲後も、編集助手の人事や編集業務上の庶務、博文館との交渉等の一切は岡茂雄が担当し、新村出を中心とする編集スタッフを補佐した。1935年(昭和10年)に『辞苑』は完成。刊行されるやベストセラーとなる。
『辞苑』改訂作業の挫折

『辞苑』刊行後、岡茂雄はすぐに改訂版の編集を新村出に進言。しかし『辞苑』編集中の博文館の新村に対する態度には心ないものがあり、これを不快に感じていた新村は改訂版作成に難色を示す。しかし岡と溝江の説得に思い直し、『辞苑』改訂に取り組むこととなった。岡は1935年(昭和10年)頃に出版業界から身を引くが、『辞苑』改訂版の編集では引き続き庶務その他一切の雑務を担当しつつ、編集・執筆者間の連絡調整にも腐心して、新村らの作業を補佐し続けた。改訂作業半ばに外来語を考慮していないことに気付き、少壮気鋭のフランス文学者であり、思想上の理由で投獄されちょうど釈放されたばかりの新村猛(出の次男)を編集スタッフに加えるよう進言したのも岡である。

作業は遅れ、完成のめどが立たないうちに第二次世界大戦が勃発。編集作業はさらに遅滞し、空襲開始と共に編集部は場所を転々とし、最後は博文館社長邸の一室で新村猛と2名ほどの女性スタッフで実務に当たった。1945年(昭和20年)4月29日の空襲により、ついに印刷用紙を保管していた倉庫と、数千ページ分の銅版(活字組版)を保管していた印刷所が被災し、『辞苑』改訂版の編集は中絶する。万が一を恐れた岡が、版下の清刷りを必ず5通印刷し、博文館と岡、溝江3名に各1通、新村家に2通を控えとして保管していたおかげで編集作業の成果は残り、後の『広辞苑』へ引き継がれる。

戦後、疎開先から帰京した岡茂雄が『辞苑』改訂版刊行の意思を博文館に尋ねるが、社長以下博文館側は拒絶、その旨は新村出にも報告された。その後、新村猛の交渉により、改訂版は岩波書店から刊行されることとなる。その際、博文館との軋轢を懸念した岡茂雄は、書名『辞苑』の引き継ぎに異を唱えたが、結局書名は『広辞苑』と決まる。その後岡の予想通り、岩波書店と博文館の間で裁判沙汰になった[3]
『広辞苑』誕生から現在

この節の加筆が望まれています。 (2022年1月)

戦後生じた大きな社会情勢の変化、特に仮名遣い漢字の字体の変更といった国語改革や新語の急増などにより、編集作業はさらに時間を要することになった。新村父子をはじめとする関係者の労苦が実り、1955年(昭和30年)5月25日岩波書店から『広辞苑』第一版が刊行された。『辞苑』改訂作業開始から既に20年が経過していた。

1991年11月15日には第四版が発行され、さらに翌年の1992年11月17日にはこれをもとにした『逆引き広辞苑』が発行された。『逆引き - 』には見出し語のみで語義は掲載されていないが、言葉を最初の文字からではなく最後の文字から引くという独特さ、詩作の際の押韻クロスワードパズルなどの言葉遊びにも利用可能な点が話題を呼んだ[4]

1998年11月11日に発行された第五版では23万余語を収録。累計発行部数は第一版から第六版までで1190万部以上[5]、第四版が220万部[6]、第五版が100万部[6]、第六版は50万部[6]


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