この項目では、中華民国により設置された省について説明しています。中華人民共和国の行政区画については「広西チワン族自治区」をご覧ください。
「江西省」とは異なります。
中華民国 広西省
←
広西省(こうせいしょう)は、かつて中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国広西チワン族自治区の大部分に相当する。 清代の広西省
地理
東は広東省、西は雲南省、北は湖南省及び貴州省、南はフランス領インドシナに接していた。 1911年(宣統3年)、辛亥革命が勃発すると11月7日に広西省は独立宣言、大漢広西全省国民軍が、同月19日、右江軍政分府が柳州に、20日には南寧副都督府が設立されている。 1912年(民国元年)1月、広西軍政府の行政機構変更が行われ軍政司と民政司が設置、1914年(民国3年)5月に民政長を巡按使に、1916年(民国5年)には巡按使は省長と改称されている。1925年(民国14年)8月3日、広州国民政府は広西全省綏靖処の設置を決定、全省の軍政及び民政を統括する中央集権的な行政機構を設置したが、1926年(民国15年)5月13日には広西全省綏靖処は廃止となり、省行政機構は省務会議に移管された。1927年(民国16年)2月25日、国民党広州政治分解は省務会議の廃止を決定、その機能は省政府委員会に改編、5月15日に広西省政府委員会が南寧市に成立した。 1927年(民国16年)に発生した上海クーデター以降、広西省は南京国民政府に帰属した。 1949年(民国38年)11月2日、国共内戦の結果、共産党軍により「解放」(即ち占領)され、中華民国は実効支配権を喪失している。 代氏名就任日退任日
歴史
歴代省長
1陸栄廷1912年3月-
2陳炳焜1916年7月-
3譚浩明1917年4月-
4陳炯明1921年10月-
5劉震寰1922年5月-
6林俊廷1923年1月-
7陸栄廷1924年9月-
8李宗仁1924年11月-
9劉震寰1925年5月-
10黄紹1925年7月-
11伍廷?1929年5月-
12兪作柏1929年6月-
13呂煥炎1929年10月-
14黄紹1931年2月-