広瀬郡(ひろせぐん)は、奈良県(大和国)にあった郡。 1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。 『和名類聚抄』に記される郡内の郷。 神名帳比定社集成 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は村内に寺社除地[1]が存在。(32村) 知行村数村名 代氏名就任年月日退任年月日備考 代氏名就任年月日退任年月日備考 代氏名就任年月日退任年月日備考
郡域
北葛城郡広陵町・河合町の全域
大和高田市の一部(池尻・藤森)
歴史
古代
郷
城戸
上倉
下倉
山守
散吉
下句
式内社
社名読み格付記社名所在地備考
広瀬郡
表
話
編
歴
広瀬坐和加宇加乃売命神社ヒロセニ-名神大月次新嘗廣瀬大社奈良県北葛城郡河合町川合 ⇒[1]
讃岐神社サヌキノ小讃岐神社奈良県北葛城郡広陵町三吉
櫛玉比女命神社クシタマヒメノミコトノ小櫛玉比女命神社奈良県北葛城郡広陵町弁財天
穂雷命神社ホノイカツチノ小穂雷神社奈良県北葛城郡広陵町安倍
於神社ウヘノ小鍬於神社奈良県北葛城郡広陵町大塚
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近世
藩領大和郡山藩23村●○大垣内村[2]、●赤部村、○川合村、○佐味田村、○城内村、○南村、薬井村、大野村、中村、古寺村、長楽村、○池部村、○寺戸村、○斎音寺村、笠村、山坊村、大輪田村、穴闇村、●○箸尾萱野村[3]、弁才天村、的場村、大場村、○南郷村
郡山藩・伊勢久居藩1村○沢村
その他寺社領8村○池尻村、平尾村、疋相村、○安部村、大塚村、藤森村、○百済村[4]、広瀬村
近代
慶応4年
5月21日(1868年7月10日) - 寺社領・旗本領が奈良府の管轄となる。
7月29日(1868年9月15日) - 奈良府が改称して奈良県(第1次)となる。
明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が郡山県、久居県の管轄となる。
11月22日(1872年1月2日) - 第2次府県統合により、全域が奈良県の管轄となる。
明治9年(1876年)
4月18日 - 第2次府県統合により堺県の管轄となる。
大垣内村・赤部村・斎音寺村が合併して三吉村となる。(31村)
明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての広瀬郡が発足。添上郡奈良町に「奈良郡役所」が設置され、同郡および添下郡・山辺郡・平群郡とともに管轄したが、まもなく「添上添下山辺広瀬平群郡役所」に改称。
明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
明治20年(1887年)11月4日 - 奈良県(第2次)の管轄となる。
21.瀬南村 22.馬見村 23.百済村 24.箸尾村 25.河合村(紫:大和高田市 黄:広陵町 青:合併なし 1 - 15は葛下郡)
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・広陵町。(5村)
瀬南村 ← 池尻村(現・大和高田市)、藤森村(現・大和高田市、北葛城郡広陵町)、南郷村、古寺村(現・広陵町)
馬見村 ← 三吉村、疋相村、平尾村、安部村、大塚村、笠村
百済村 ← 百済村、広瀬村
箸尾村 ← 萱野村、的場村、弁財天村、南村、大場村、中村
河合村 ← 川合村、長楽村、穴闇村、池部村(現・河合町)、沢村(現・広陵町)、佐味田村、山坊村、大輪田村、城内村、西穴闇村(現・河合町)、寺戸村、大野村(現・広陵町)、薬井村(現・河合町)
明治25年(1892年)2月12日 - 河合村の一部(沢・大野・寺戸)が箸尾村に編入。
明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、葛下郡・広瀬郡の区域をもって北葛城郡が発足。同日広瀬郡廃止。
行政
奈良郡長→堺県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
1明治13年(1880年)4月15日
明治14年(1881年)2月6日大阪府に移管
大阪府添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
1明治14年(1881年)2月7日
明治20年(1887年)11月3日奈良県へ移管
奈良県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
1明治20年(1887年)11月4日
明治30年(1897年)3月31日葛下郡との合併により広瀬郡廃止
脚注[脚注の使い方]^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
^ ●○大垣内村・南大垣内村に分かれて記載。南大垣内村については詳細不明。
^ ○箸尾村(寺社領)・萱野村(郡山藩領)に分かれて記載。
^ ○南百済村・○北百済村に分かれて記載。