広瀬 和雄(ひろせ かずお、1947年6月8日[1] - )は、日本の考古学者、国立歴史民俗博物館考古研究系教授。主たる研究領域は、弥生時代・古墳時代の政治構造。 京都市生まれ。 近年の主要な研究テーマは古墳時代の政治構造や観念領域の研究である。日本列島各地に展開した前方後円墳の特質として「見えるかたちでの死者の王権」としての可視性、形状における斉一性、そして、墳丘規模に顕現する階層性の3点を掲げ、前方後円墳を、大和政権を中心とした首長層ネットワークすなわち「前方後円墳国家」と呼ぶべき国家の表象であると論じて、国家の成立を「利益共同体」という従来にない観点から説明した。2003年(平成15年)3月の研究集会「弥生時代の実年代」にも参加した。その著『日本考古学の通説を疑う』では、固定化された考古学の定説に対して数々の問題提起をおこなっている。
略歴・研究領域
1970年(昭和45年)同志社大学商学部を卒業。
1975年(昭和50年)には大阪府教育委員会に入り、文化財保護課技師として府内の考古遺跡の発掘調査にたずさわった。
1991年(平成3年)大阪府立弥生文化博物館の学芸課長
1997年(平成9年)奈良女子大学文学部教授
1999年(平成11年)同大学院の人間文化研究科教授
2004年(平成16年)以降は国立歴史民俗博物館研究部教授
2004年文学博士(大阪大学)を取得。論文の題は「古墳時代政治構造の研究」[2]。
2005年(平成17年)4月からは総合研究大学院大学教授(文化科学研究科日本歴史研究専攻)を併任している。
見解
桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳に関して、研究者の間では大王墓と見るのが主流であるが、大王墓の系列から除外する考えを有している[3]。なお、桜井茶臼山古墳に関しては、石野博信も、「その被葬者は大王一族ではない別の有力者だった可能性がある」と指摘しており[4]、大王墓と見るのが主流であっても、大王墓説が有力説ではない事に注意がいる。
大陸の墓制にある霊肉二元論の観念を古墳時代前・中期(5世紀前半まで)の首長層はもっておらず、東アジアの墓制の中で、日本は異色の様相を呈し続けていたと論じている[5]。その論拠の一つとして、食器を副葬するようになったのが5世紀中頃以降であり、横穴式石室や須恵器の技術が渡来した時期と合致している。
遅くとも4世紀後半頃には前方後円墳国家と金官伽耶が政治同盟を結んでいたとみている[6]。倭の儀礼用の武器・武具が伽耶地域から出土するのも、同盟を組んだ際に渡したものと推測している。
著書
『前方後円墳国家』角川選書、2003年/中公文庫、2017年 ISBN 978-412-206369-3
『日本考古学の通説を疑う』洋泉社新書y 2003年 ISBN 4-89-691772-3
『古墳時代政治構造の研究』塙書房、2007年 ISBN 4-82-731213-3
『前方後円墳の世界』岩波新書、2010年 ISBN 978-4-00-431264-2
『カミ観念と古代国家』角川学芸出版・角川叢書、2010年 ISBN 978-4-04-702149-5
『古墳時代像を再考する』同成社、2013年 ISBN 978-488621-638-0
『前方後円墳とはなにか』中央公論新社・中公叢書、2019年
共著
宇垣匡雅・大久保徹也