広瀬勝貞
[Wikipedia|▼Menu]

日本政治家広瀬 勝貞ひろせかつさだ
大分県知事在任中に公表された肖像
生年月日 (1942-06-25) 1942年6月25日(81歳)
出生地 大分県日田市
出身校東京大学法学部第2類
前職国家公務員(通商産業省・経済産業省
経済産業事務次官
所属政党無所属
親族父・広瀬正雄(元郵政大臣
兄・広瀬貞雄(元富士紡績社長)
兄・広瀬道貞(元テレビ朝日社長)
義父・林佳介(元衆議院議員
義兄・林義郎(元大蔵大臣
義甥・林芳正外務大臣
義曽祖父・林平四郎(元貴族院議員、元衆議院議員)
第15-19代
大分県知事(公選)
当選回数5回
在任期間2003年4月28日 - 2023年4月27日
テンプレートを表示

日本官僚広瀬 勝貞ひろせ かつさだ
第30代 通商産業事務次官
初代 経済産業事務次官
在任期間1999年 - 2002年
テンプレートを表示

広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年昭和17年〉6月25日 - )は、日本通産経産官僚政治家。元大分県知事(公選第15-19代)。
来歴

大分県日田市生まれ。私立麻布高校[1]東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、1966年通商産業省に入省(石炭局炭政課配属)。貿易局、大臣官房総務課、重工業局[2]、大臣官房秘書課を経て、1976年より外務省に出向し、在スペイン日本大使館に赴任。

1979年帰国後は資源エネルギー庁企画官、同庁石油流通課長、通産大臣秘書官、機械情報産業局情報処理振興課長、同局総務課長、産業政策局企業行動課長、大臣官房総務課長、中小企業庁計画部長などを歴任[2]。 1980年代には、消費税の導入を目指して奔走し、次官候補に台頭(同時期、大蔵省で消費税導入を主導した薄井信明も後に大蔵事務次官に就任)する。第1次橋本内閣の下では広瀬、林康夫の2人が次官候補に目され、広瀬が1期先輩の江崎格を抑えて事務次官に就任した。前任の渡辺修の在任が長引いたのに加え、橋本龍太郎首相が広瀬の同窓(橋本も麻布中学・高校出身)であったのも影響した。

1991年宮澤喜一内閣総理大臣秘書官に就任。宮澤の退陣後は通産省へ戻り、機械情報産業局次長、貿易局長、大臣官房長、機械情報産業局長を経て、1999年9月より通商産業事務次官に就任。2001年中央省庁再編に伴い、初代経済産業事務次官に就任した。2002年2月に退官[3]


中央省庁再編時に通商産業省で事務次官を務めており、最後の通商産業事務次官かつ初代経済産業事務次官であった。
大分県知事として

2003年、通産省時代の先輩に当たり、1979年から6期24年にわたり大分県知事を務めていた平松守彦から後継指名を受け、大分県知事選挙無所属自民公明保守3党推薦)で出馬。当初、現職の平松知事の後継指名に加え、地元経済界や業界団体の支援も受けていたため圧勝が予想されていたが、「無党派」を標榜し平松県政からの転換を訴えた吉良州司(のち民主党衆議院議員)の猛追を受けて苦戦を強いられ、3万票弱の僅差で吉良を振り切って初当選した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef