日本テレビ等に関係する「廣瀬健一」とは別人です。
オウム真理教徒広瀬 健一
誕生 (1964-06-12) 1964年6月12日
日本・東京都新宿区
死没 (2018-07-26) 2018年7月26日(54歳没)
日本・東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
出身校早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程修了
ホーリーネームサンジャヤ
ステージ正悟師
教団での役職科学技術省次官
入信1988年3月
関係した事件地下鉄サリン事件
判決死刑(執行済み)
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広瀬 健一(ひろせ けんいち、1964年6月12日 - 2018年7月26日[1][2])は、オウム真理教元幹部・元死刑囚。東京都出身。ホーリーネームはサンジャヤ。オウム真理教の階級は菩師長だったが、地下鉄サリン事件直前に正悟師に昇格した。 長男として東京都新宿区に出生[3]。両親は共働きで、夕食時は必ず家族で食卓を囲むなど、絆の強い家庭に育つ。性格は明るく穏健。小さい頃はエンジニア志望だった[4]。 オウム武装化要員のテストケースとして、入念な洗脳を受けた。教団が省庁制を採用した後は、科学技術省次官の一人となる。早稲田大学理工学部応用物理学科卒業、早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程修了。大学院時代、国際学会に出した論文『高温超伝導の二次元』が、当時の世界のトップサイエンスであると評価された。教団のPR番組「真理探究」に出演していた。2018年7月26日、死刑が執行された。 多摩市立北諏訪小学校卒業[3]。新宿の進学塾に通いトップクラスの成績だった(後に大学時代にその塾で理科と数学の講師として働く)。父親に勧められて始めた剣道にも生真面目に取り組み、中学1年生の時に初段の免状をもらう[3]。この頃、中学教師から「級友の面倒見がよく、素晴らしい生徒に出会えて幸せだった」と絶賛されている[5]。 高校は早稲田大学高等学院に進学。私立の御三家武蔵高校にも合格したが、有意義なことに時間を使いたいとエスカレーター式の高校を選んだという[3]。家計を助けるため自ら率先して高校から大学院にかけて奨学金を受け、学費のほとんどを自身で工面、母親と一緒にメッキ工場でアルバイトする親思いの青年であった[3]。 高校3年生の時、家電店で値引商品を見て「技術開発をしても直ぐに新しいものに取って代わられ、商品価値が失われたり、軍用兵器に転用されたりする」と、無常観(物ごとの価値が変化することに対するむなしさ)を感じた[注 1]。以降、物事の価値が気にかかり「むなしさの感情」を通して世界を見るようになる[6]。 1983年3月、早稲田大学高等学院卒業。早大学院では2学年先輩に後のオウム真理教幹部である上祐史浩がいるが、在学中の接点はなかった。 1983年4月、早稲田大学理工学部応用物理学科へ進学。応用物理の道へ進んだ。半導体素子のような研究であれば直ぐに価値がなくなることはなく、世の中の役にも立つとの考えであった。学業や学費のためのアルバイトに忙殺され、高校時代に抱いた「生きる意味」の問題を考えることはなかった[6]。1987年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を首席で卒業し、総代として挨拶もしている。 1987年4月、早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程に進学。
人物
入信前
入信後
来歴
小中学校時代
高校時代
大学・大学院時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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