広平親王
時代平安時代中期
生誕天暦4年(950年)
薨去天禄2年9月10日(971年10月1日)
官位三品、兵部卿兼大宰帥
父母父:村上天皇、母:藤原祐姫
広平親王(ひろひらしんのう)は、平安時代中期の皇族。村上天皇の第一皇子。官位は三品・兵部卿兼大宰帥。 天暦4年(950年)村上天皇の第一皇子として生まれるが、同年に中宮・安子(右大臣・藤原師輔の娘)所生の第二皇子・憲平親王も生まれた。二人は誕生からすぐに東宮の地位を争うが、外戚の力関係によりまもなく憲平親王が立太子された。広平親王の外祖父である大納言・藤原元方は無念の思いのまま、天暦7年(953年)に病死した。なお、天徳元年(957年)広平親王の二条邸が火災に遭っている[1] 応和3年(963年)に元服して三品に叙任される。康保4年(967年)に憲平親王が践祚(冷泉天皇)すると、のち兵部卿・太宰帥を歴任した。天禄2年(971年)9月10日薨去。享年22。藤原元方と広平親王の恨みが、冷泉天皇とその子である花山天皇の奇行や三条天皇の病となって現れた、と噂された(『栄花物語』)。 『日本紀略』による。
経歴
官歴
応和3年(963年) 8月20日:元服、三品
時期不詳:兵部卿。太宰帥
天禄2年(971年) 9月10日:薨去(三品兵部卿兼太宰帥[2])
系図 63 冷泉天皇 致平親王 為平親王 64 円融天皇 昭平親王 具平親王
65 花山天皇 67 三条天皇 66 一条天皇 源師房
〔村上源氏へ〕
敦明親王
(小一条院) 禎子内親王
(陽明門院) 68 後一条天皇 69 後朱雀天皇
70 後冷泉天皇 71 後三条天皇
脚注^ 『日本紀略』天徳元年2月15日条
^ 『日本紀略』天禄2年10月8日条