広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク
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所在地広島市中区千田町2丁目5-64
日本赤十字社広島支部内
座標北緯34度22分48.2秒 東経132度27分15.9秒 / 北緯34.380056度 東経132.454417度 / 34.380056; 132.454417
広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク(ひろしませきじゅうじ げんばくびょういんメモリアルパーク)は、広島県広島市中区千田の日本赤十字社広島支部敷地内にある公園。広島赤十字・原爆病院から道を挟んで南側に位置する。
この項目では公園設置の経緯に関わる広島赤十字・原爆病院および日本赤十字社広島支部の沿革も併せて述べる。 広島赤十字・原爆病院改修に伴い、病院敷地内にあった広島市への原子爆弾投下に関連するモニュメントを広島支部敷地内に移転し公園として整備したものである[1][2]。常時開放しており、日赤側は平和教育の場として修学旅行生なども受け入れるとしている[1][2]。 面積640m2 [1]。メインは被爆した旧日赤病院の窓枠、その他モニュメントに加えて芝生ゾーンを設けている[1]。また病院周辺にもモニュメントがいくつか存在している。以下公園内のモニュメントを示す。
目次
1 公園
2 沿革
2.1 広島博愛病院
2.2 日赤病院建設
2.3 戦中医療
2.4 被爆
2.5 原爆病院
2.6 モニュメント化
3 交通
4 脚注
5 参考資料
6 関連項目
7 外部リンク
公園
旧病院の被爆遺構
被爆遺跡(歪んだ窓枠) - 旧本館の窓枠[3]。
モニュメント(壁) - 旧1号館階段室の窓ガラスによってできた傷跡[3]。
原爆殉職職員慰霊碑 - 1959年建立[3][4]。碑文の原文は当時赤十字国際委員会会長レオポルド・ボアシェ
原爆殉職職員並びに戦時事変戦歿者合祀「平和への祈り」 - 1995年被爆50年目に日赤広島支部/広島赤十字・原爆病院/日赤看護婦同方会の三者により建立[3][5]。
マルセル・ジュノー博士の碑 - ジュノー博士記念碑建立会により建立[3][1]。広島平和記念公園内にも別の顕彰碑が建立されている[3]。
原爆の絵碑第9号碑 - 2005年被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会により建立[6]。
献身の人天野美紀枝さんを偲んで・碑 - 全日空羽田沖墜落事故で亡くなった客室乗務員で、病院へ毎年すずらんを送り慰問に訪れていた。それが縁で入院患者による募金で作られた。
広島赤十字看護専門学校記念碑 - 2014年建立[7]。学校は1939年開校、医療高度化に対応するため2000年日本赤十字広島看護大学が開校したため2002年閉校[8]。
被爆窓枠。壁は竣工時時点ではスクラッチタイル[9]だった。
沿革「日本赤十字社」および「広島赤十字・原爆病院」も参照
広島博愛病院や県令千田貞暁などの尽力により、1886年(明治19年)10月下中町[注 1]に「広島博愛病院」が開院した[11]。これは東京の博愛社病院(日本赤十字社医療センター)より前に開院したことになる[11]。