広島県立竹原高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度20分27.7秒 東経132度54分11.1秒 / 北緯34.341028度 東経132.903083度 / 34.341028; 132.903083
広島県立竹原高等学校(ひろしまけんりつ たけはらこうとうがっこう)は、広島県竹原市竹原町にある県立の高等学校。
概要1906年(明治39年)創立の高等女学校と1942年(昭和17年)創立の実業学校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、両校は統合され新制高等学校となる。2016年(平成28年)に創立110周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 2学科
普通科
商業科
校訓
「継続は力なり」
実践目標
「顧言」(こげん)
校章
竹の葉とオリーブの葉を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
校歌
作詞は大木博夫、作曲は乗松昭博による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。また校歌とは別に「竹高讃歌」がある。作詞は谷房穂、作曲は日高脩による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「竹高」が登場する。
沿革
高等女学校
1906年(明治39年)
3月17日 - 「私立竹原女学校」設立が認可される。
4月20日 - 竹原町栄町の仮校舎において開校。
1928年(昭和3年)4月1日 - 移管により「広島県立竹原高等女学校」と改称。修業年限を4年、生徒定員を440名とする[1]。
商業学校・工業学校
1942年(昭和17年)
2月20日 - 「広島県立竹原商業学校」の設立が認可される。修業年限を5年、生徒定員を500名とする。
4月11日 - 竹原国民学校(現・竹原市立竹原小学校)校舎の一部を仮校舎として開校。
1943年(昭和18年)
4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
10月18日 - 新校舎が完成し移転を完了。
1944年(昭和19年)3月8日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、工業学校に転換。「広島県立竹原工業学校」に改称。
造船科と金属工業科が設置される。
新制高等学校
1948年(昭和23年)
5月3日 - 学制改革により上記2校が統合の上、新制高等学校「広島県竹原高等学校」が発足。定時制課程(夜間)が併置される。
6月30日 - 広島県三津高等女学校と広島県内海高等女学校の2校を統合の上、それぞれ定時制の安芸津分校・安浦分校とする。
1949年(昭和24年)4月30日 - 高校三原則に基づく公立高校再編により、総合制の「広島県竹原高等学校」が発足。
通常制(全日制課程)4学科(普通・家庭・商業・機械)定時制(夜間)普通科が設置される
1954年(昭和29年)3月31日 - 広島県阿賀高等学校への統合により機械科を廃止。
1954年(昭和29年)10月 - 県議会で安浦分校に水産科を設置することが決定[2]。
1960年(昭和35年)4月20日 - 以降この日を開校記念日と制定。
1962年(昭和37年)5月 - 体育館兼講堂と体育部室が完成。
1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立竹原高等学校」(現校名)と改称(県の後に「立」が付される)。
1969年(昭和44年)3月 - 本館が完成。
1971年(昭和46年)4月 - B校舎が完成。
1972年(昭和47年)3月 - 格技場が完成。
1977年(昭和52年)3月 - C校舎が完成。
1978年(昭和53年)4月1日 - 安芸津分校と安浦分校の2校が統合の上分離し広島県立豊田高等学校として独立。
1984年(昭和59年)
4月 - D校舎が完成。
6月 - エレベーター棟が完成。
1986年(昭和61年)
2月 - 運動場を改修。
3月 - 体育館兼講堂を改修。
2002年(平成4年)2月 - 第2体育館が完成。
1997年(平成9年)3月 - クラブハウスが完成。
2002年(平成14年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。
2004年(平成16年)3月31日 - 家庭科を廃止。
2006年(平成18年)
4月1日 - 定時制課程の募集を停止。
10月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念事業として校訓碑を設置。
2008年(平成20年)3月 - 食堂棟を解体。
2009年(平成21年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
2014年(平成26年)3月28日 - 荘川ザクラ記念碑を設置。
部活動
運動部
相撲部が全国大会の常連。
文化部
著名な出身者
今井政之 - 陶芸家(広島県立竹原工業学校卒業)
長谷川繁雄 -元プロ野球選手。南海ホークスの400フィート打線で5番を打ち、3割。オールスターゲームにも出場。その後中日ドラゴンズ-近鉄バファローズ
大内寛文 - 元ラグビー日本代表選手。浄土真宗 長善寺住職。
桐谷広人 - 元将棋棋士。投資家。ほぼ株主優待券のみで生活を行うことで有名。
中元勇作 - 元プロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ
伊藤みのり‐広島ホームテレビアナウンス部部長
著名な教職員・関係者
迫田穆成 - 同校硬式野球部監督
脚注[脚注の使い方]^ 昭和3年4月28日付官報(第381号) 文部省告示第二百五十六号
^ 巻末資料『安浦町史 通史編』p1078、安浦町史編さん委員会編、2004年3月31日発行
関連項目
広島県高等学校一覧
旧制中等教育学校の一覧 (広島県)