広島県立広島国泰寺高等学校
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広島県立広島国泰寺高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度23分13.4秒 東経132度27分29.2秒 / 北緯34.387056度 東経132.458111度 / 34.387056; 132.458111座標: 北緯34度23分13.4秒 東経132度27分29.2秒 / 北緯34.387056度 東経132.458111度 / 34.387056; 132.458111
過去の名称広島外国語学校
広島英語学校
広島県中学校
広島県広島中学校
広島県広島尋常中学校
広島県第一尋常中学校
広島県第一中学校
広島県立広島中学校
広島県立広島第一中学校
広島県鯉城高等学校
広島県広島国泰寺高等学校
国公私立の別公立学校
設置者広島県
校訓質実剛健
礼節気品
自治協同[1]
設立年月日1874年(明治7年)
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制単位制
設置学科普通科
学科内専門コース理数コース
学期3学期制[2]
学校コードD134210000024
高校コード34102K
所在地730-0042
広島県広島市中区国泰寺町一丁目2番49号
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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広島県立広島国泰寺高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまこくたいじこうとうがっこう, Hiroshima Prefectural Hiroshima Kokutaiji High School)は、広島県広島市中区国泰寺町一丁目に所在する県立高等学校
概要
歴史
1897年明治30年)創立の「広島県立第一中学校」(旧制中学校)を前身とする。2017年平成29年)に創立140周年を迎えた。
設置課程・学科


普通科(普通コース・理数コース)- 単位制

校訓


質実剛健

礼節気品

自治協同[1]
旧制中学時代に既に定められていた三訓をそのまま継承している。戦後永く「質実剛健」「礼節気品」のニ訓とされていたが、21世紀(2005年以降。2005年度学校経営計画には「質実剛健」および「礼節気品」の文字は見ることができるが「自治協同」の文字は見ることができない。)になって「自治協同」が明文復活された。(戦後は後述、校章の鷹羽の持つ「責任」の意味のひとつとして永く留められていた。)なお、戦後なぜ「自治協同」の明文が削除されたのかについては定かではないが、戦前からある学生寮の寮訓でもあること、戦後のGHQによる指導(共産主義的思想の排除)といった政治的事由があったようである[3]
校章
の葉三枚との羽2枚を組み合わせて図案化したもの。原子爆弾投下前、近くにあった国泰寺(戦後移転)の大楠を象徴化したものである「楠の葉」と、国泰寺浅野氏菩提寺であるところから浅野氏の家紋である「鷹の羽」で構成されている。また、楠は香気高く、永遠に変わらぬその操守、気品を、鷹は剛健・質実・責任を象徴している。鷹のイメージが教育目標の「質実剛健」になり、楠のイメージが「礼節気品」になった[4]
校歌
旧制中学時代の軍国主義色濃厚な校歌を廃止、1950年昭和25年)に制定。歌詞は全日制・定時制の両生徒と職員に募集され、当時定時制に在学していた堀田晃の作品が採用され、音楽教諭の白井威彦が曲をつけた。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。なお同校では旧制中学時代より「鯉城の夕」(児玉琢四朗 作詞)がいわゆる「第二の校歌」として継承されているが[5]、こちらにも校名は登場しない[6]。また、「征け友よ」という応援歌のようなものもある。
校風
スクールカラーは紫である。昔から「一中魂」と呼ばれる、いわゆる硬派、一方で自治協同の自由闊達な校風として地元で知られてきたが、特に平成に入ってから、侵略、暴力的なイメージ、内容を持つ「一中魂」は嫌われ、継承されてきた多くの応援歌などとともに衰退した。上述「鯉城の夕」についても応援団の消滅とともに一時、全く歌われないものになっていた。しかし近年、卒業生教員らによって、侵略、暴力的な内容部分を排した「一中魂」が復活、「鯉城の夕」も再び学校公式行事の場で歌われるようになっている[7]。今日、学校の公式発表でも「旧制広島一中以来の人間教育の伝統を受け継ぎ、社会の至宝となるべき有為の人材を育成する。」をミッションとし、文武両道の校風のもと、名門校復活の学校改革に積極的に取り組むとしている[8]
施設・設備
300号棟玄関
校舎
300号棟(5階建て)と400号棟(4階建て)の二つの校舎があるが、どちらも古びている。2006年(平成18年)から400号棟のリフレッシュ工事が行われ、2007年(平成19年)3月に完了した。両方の校舎をつなぐ渡り廊下は正門側と裏門側の両方にあるが、正門側は1階?3階、裏門側にいたっては1階と2階だけにしかない。また400号棟の廊下と渡り廊下にはの上半分およびがなく、ほぼ外になっているためには直接廊下に降る。エアコンはほぼすべての教室に設置してある。
体育館
体育館のある建物は2階建てになっており、1階(いっかい)には剣道場・柔道場・倉庫などがある。体育館の広さは一般的な大きさである。この体育館は授業や部活動以外の様々な行事などにも使われる。
同窓会
新制高等学校発足時の校名にちなみ「鯉城同窓会」(りじょう)と称している。地元広島の同窓会のみならず、東京などにも分会があり、その活動は盛んである。同窓会幹事(当番幹事)は卒業時、各学級ごとに数名決められ、23年後にクラスメートに連絡、有志を募り1年間、総会などの同窓会活動を担当する。これはちょうど男性のいわゆる「厄年」にあたるように設定されており、いわゆる「厄祓い」「げんかつぎ」とされている[9]
姉妹校


アメリカ合衆国ハワイ州立モアナルアハイスクール (英称:Moanalua High School)

イギリスタスカーミルワード校 (英称:Tasker Milward V.C. School)

アメリカ合衆国 カラマズー地域理科・数学センター (英称:Kalamazoo Area Mathematics and Science Center)

沿革.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}1930年(昭和5年)頃の広島市の地図。ほぼ中央に「校學中一第」(第一中学校)とある。1945年(昭和20年)原爆投下前の広島市中心部。現在地に校地が確認できる。

画像外部リンク
1946年8月の写真。
Hiroshima aerial 3 Aug 46 A3466 アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。写真中央が日赤病院、その上が市役所庁舎で、当校はその右斜め上にあたる。

旧制中学校


1874年(明治7年)

6月 - 「官立(国立)広島外国語学校」が大手町一丁目に開校。生徒120名を募集。修業年限を6ヶ年とする。

12月 - 「官立広島英語学校」と改称。


1875年(明治8年)10月 - 普通学科を増設。学則を改正し、修業年限を6ヶ年から4ヶ年に変更。

1877年(明治10年)- 創立年

2月 - 広島県への移管により、「広島県中学校」と改称。定員を100名とする。

7月 - 下中町の新校舎に移転。

11月 - 校舎が完成。


1879年(明治12年)9月 - 「広島県広島中学校」と改称。


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