広島新庄中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度45分48.6秒 東経132度29分32.7秒 / 北緯34.763500度 東経132.492417度 / 34.763500; 132.492417
「我は吾 自らの光の中に生きん」第二代校長 豊留アサ先生のお言葉それぞれが唯一無二の存在で、人と比べることなく、自分自身の放つ光の中に生きよう
校訓至誠一貫
質実剛健
協力一致
設立年月日1909年
創立記念日5月3日
創立者
三上一彦豊留アサ日高順誓三上重緒土肥環太郎上原周善武田収三その他、新庄及び近隣地域より35名の賛同者
共学・別学男女共学
中高一貫教育併設型
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC134310000257 (中学校)
D134310000344 (高等学校)
高校コード34517C
中学校コード340252[1]
所在地〒731-2198
広島県山県郡北広島町新庄848
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
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学校法人広島県新庄学園 広島新庄中学校・高等学校(ひろしましんじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、広島県山県郡北広島町新庄に所在する私立中学校・高等学校。
広島市と島根県浜田市のほぼ中間に立地している。 広島県新庄学園は、旧新庄、日野山城主吉川元春公に、正三位の贈位があったのを記念し、明治42年(1909年)5月3日、地域社会の人材育成を目的に、新庄女学校として設立され今日に至る。 県北の伝統校として長い歴史を持ち、近年では芸北地域や島根・邑智地域のみならず広域から生徒を集めている。バス通学者も多く、広島市安佐北区可部地区や三次市には通学バスが出ている。最近は広島市の横川駅までの通学バスも走るようになり、広島市内から約1時間で通学できるようになった。 近年は硬式野球部監督に元広島県立広島商業高等学校監督の迫田守昭を招聘し、2014年の第86回選抜高等学校野球大会にて初出場を果たすと、2015年の第97回全国高等学校野球選手権大会にも初出場した。
概要
沿革
1909年 - かつて芸北地方を治めていた吉川元春公に対する正三位追贈を記念して、安芸門徒らにより新庄村に新庄女学校が設立される。校主兼校長・三上一彦氏(元教部省の教導職長官で歌人・国学者)。教頭・豊留アサ氏(日本女子大学卒)。
1911年 - 三上一彦校主兼校長の逝去により、豊留アサ氏が第二代校長に就任。
1917年 - 文部省認可による私立新庄女学校となる。
1920年 - 新庄実科高等女学校に昇格。
1922年 - 新庄高等女学校に昇格。
1923年 - 学校経営を財団法人組織に改め、財団法人新庄高等女学校と称する。
1924年 - 財団法人新庄高等女学校が母体となって、各種学校令による広島県新庄中学校開校。校長には、佐々木武夫氏が就任する。その後、財団法人新庄高等女学校から財団法人広島県新庄学園に改組する。
1926年 - 前第一高等学校教授兼生徒監の要職にあった谷山初七郎氏が初代学園長に就任。文部大臣の認可を受けて、広島県新庄中学校に昇格し、広島県新庄学園は、広島県新庄中学校と広島県新庄高等女学校を合わせて経営する。
1927年 - 新庄保母養成所、広島県新庄学園附属幼稚園開設。豊留アサ女学校長が園長兼務。西本願寺の認可を受けて、広島県新庄学園附属仏教専修学院が新設される。
1929年 - 谷山学園長の急逝により谷山熊雄氏を学園長に迎える。20周年記念式を挙行する。その記念事業として、女学校卒業生並びに在校生が恩師、豊留アサ校長への感謝の意を表し、豊留記念館を新築贈呈される。
1930年 - 広島県梅華教員養成所が設置される。初代所長は、武田収三氏。豊留アサ校長辞任。佐々木武夫中学校長が女学校長を兼務。
豊留アサ先生遺墨1934年 - 豊留アサ前女学校長帰校。
1935年 - 豊留アサ氏が名誉校長となる。佐々木武夫校長辞任。上田稲吉中学校教頭が校長に就任する。
1936年 - 新庄学園父兄会・新庄学園後援会発足。
1938年 - 豊留アサ名誉校長逝去。
1939年 - 創立30周年記念式典挙行。火災が発生。図書室、教務室の入った棟が全焼[2]。
1941年 - 新校舎完成。太平洋戦争の開戦。
1944年 - 国方針変更により、広島県梅華教員養成所、新庄保母養成所、広島県新庄学園附属幼稚園廃止。
1947年 - 新制度による教育改革に伴い、新制中学校設立。
1948年 - 旧制中学校・旧制高等女学校の最後の卒業式。