広島東洋カープ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}マツダ > 広島東洋カープ

広島東洋カープ
Hiroshima Toyo Carp
会社名株式会社広島東洋カープ
創設1949年12月15日 (74年前) (1949-12-15)
今シーズン
2024年の広島東洋カープ
ロゴデザイン

所属リーグ
セントラル・リーグ
歴代チーム名


広島カープ(1950年 - 1967年)

広島東洋カープ(1968年 - 現在)

本拠地
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場)
広島県広島市南区
収容人員33,000人
(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)


広島県(1952年 - 現在)

永久欠番

3:衣笠祥雄

8:山本浩二

15:黒田博樹

獲得タイトル
日本一(3回)


1979

1980

1984

リーグ優勝(9回)


1975

1979

1980

1984

1986

1991

2016

2017

2018

成績(タイトル以外)
日本シリーズ出場(8回)
(太字は勝利した年)

3勝5敗

1975

1979

1980

1984

1986

1991

2016

2018

クライマックスシリーズ出場(6回)
(太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退)

2勝4敗

2013

2014

2016

2017

2018

2023

球団組織
オーナー松田元
(代行:松田一宏)
運営母体松田家(現・マツダ、旧・東洋工業の創業者一族)[1]
球団社長松田元
監督新井貴浩
選手会長堂林翔太
テンプレートを表示

株式会社広島東洋カープ
Hiroshima Toyo Carp Co., Ltd.種類株式会社
本社所在地 日本
732-8501
広島市南区南蟹屋二丁目3番1号
マツダスタジアム
設立1956年1月[2]
業種サービス業
法人番号3240001009427
事業内容プロ野球興行事業等
代表者松田元代表取締役社長
資本金5,000万円[3]
純利益8億6500万円
(2023年12月期)[4]
総資産156億3400万円
(2023年12月期)[4]
従業員数120人(2009年12月時点)
決算期12月31日
主要株主松田家関連(42.7%)
* 松田元 20.4%
* 松田弘 12.2%
* 松田勢津子 10.1%
マツダ関連(34.2%)
* マツダ 34.2%
球団子会社(18.5%)
* カルピオ 18.5%
(2005年現在)
主要子会社カルピオ(完全子会社)
関係する人物松田恒次松田耕平
外部リンクhttps://www.carp.co.jp/
特記事項:1949年6月創業。勢津子は耕平の妻、元は耕平の長男、弘は耕平の次男でアンフィニ広島社長。
テンプレートを表示
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 野球

広島東洋カープ
YouTube
チャンネル

広島東洋カープ公式

活動期間2019年9月8日 -
ジャンル野球
登録者数約6.71万人
総再生回数約776万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-01-20-00002024年1月20日時点。
テンプレートを表示

広島東洋カープ(ひろしまとうようカープ、: Hiroshima Toyo Carp)は、日本プロ野球球団セントラル・リーグ(セ・リーグ)に所属している。通称は「広島」「カープ」「鯉」。

広島県保護地域とし、広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島専用球場(本拠地)としている。また、二軍ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。現存するセ・リーグ6球団では唯一、三大都市圏外に本拠地を置く球団である。

特定の親会社を持たない市民球団を源流としており[注釈 1]原爆に打ちひしがれた広島の街に希望の光を与えることを創設目的とする[出典 1]という、他球団と比較して特異な歴史を有する[注釈 2][出典 2]。カープはお好み焼きマツダ広島電鉄などと共に広島の戦後復興象徴として語られることが多い[出典 3]地域密着型プロスポーツの先駆けである[6]

地元・広島の自動車メーカーであるマツダが球団の3分の1以上の株式を保有する筆頭株主であり、球団名の「東洋」もマツダの旧社名「東洋工業」に由来する[27]。ただし、マツダは広島東洋カープを「持分法を適用していない非連結子会社」と位置づけており[28]、経営陣の派遣は行う[注釈 3]ものの、球団への資金提供(赤字補填など)といった積極的関与は行っていない。むしろ、マツダ創業家である松田家一族の所有株式のみを合計するだけで議決権ベースでは過半数に達する[注釈 4]。歴代のオーナーも松田家から出ていることから、実質的には同家による同族経営であるとの見方もある[29]。「市民が直接株式を保有する」という意味での市民球団ではないが「特定の企業に全面依存せずに経営を成り立たせている」という意味では今なお市民球団のイメージを有する[出典 4]。なお、本記事では前身の広島カープ時代についても述べる。
球団の歴史
球団創設
1949年
正力松太郎2リーグ構想の前から広島に球団を作ろうという構想は存在していた[出典 5]。広島は昔からスポーツが盛んで[出典 6]、特に野球に熱狂的な土地柄[出典 7]戦前から広島商広陵中呉港中といった名門校があり[7]鶴岡一人白石勝巳藤村富美男などの名選手を輩出した野球王国という下地があった[出典 8]。正力の2リーグ構想が公に出た4月から[出典 9]、4か月後の8月中旬、中国新聞社東京支社長・河口豪は、東京支社から広島本社に帰る車中で、郷土の有力者、広島電鉄専務・伊藤信之、広島銀行副頭取・伊藤豊、広島県総務部長・河野義信の3名と顔を合わせた[49]。4人の話題はプロ野球の話に終始。広島は被爆後の闇市時代が続き、青少年の心の荒廃が案じられる時代で、健全な娯楽を与えたい、それにはプロ野球が...と4人の意見が一致し、話が一挙に飛躍した[出典 10]。河口は戦後、カープ誕生の前に広島でプロ野球の興行を手掛けた経験があり[注釈 5]、3人は河口に基本的な計画を立てるように依頼して別れた。3日後、銀座の東京支社に帰った河口のもとに広島2区選出の衆議院議員谷川昇と元名古屋金鯱軍代表で広島出身の山口勲[52]が「谷川さんを中心に、広島にプロ球団を作ろうと思って相談に来たんですよ」と訪ねてきた[51]。連盟と関係が悪い山口は自分は動けないと判断し[52]、そこで、『郷土に球団創設の機運をつくってほしい』と谷川に申し出ていた[出典 12]。谷川は当時公職追放中で公務からは外され[出典 13]、元々サッカー選手で野球とは無縁だったが[14]、自身の名誉回復は二の次で、何より「故郷にプロ球団を創りたい」という情熱で動いていた[出典 14]。先に伊藤らから賛同を得ていたこともあり、話はスムーズに進み、谷川を中心とした青写真作りを開始した[50]。谷川は実務は河口と山口に任せて、ニックネームの想を練った[50]。アトムズ、ブラックベア、レインボー、ピジョン、カープを有力候補としたが、は出世魚であるし、鯉のぼりは躍進の姿、太田川は鯉の名産地で広島城が鯉城と呼ばれていること、広島県のチームなら「カープ」をおいて他になし、と「広島カープ」と名付けた(詳細は後述)。谷川の要望で、中国新聞社が近く生まれる広島カープの宣伝を一手に引き受けることになり、河口の打診したところ中国新聞社代表取締役・築藤鞆一が大賛成した[50]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:778 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef