広島市立舟入高等学校
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広島市立舟入高等学校

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過去の名称広島市立第一高等女学校
広島市二葉高等学校
広島県広島舟入高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 広島市
学区(国際コミュニケーションコース)全県学区
(普通コース)広島市域
校訓おのれに徹して人のために生きよう
設立年月日1921年
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学科内専門コース国際コミュニケーションコース
学校コードD134210000818
高校コード34173J
所在地730-0847
広島県広島市中区舟入南1-4-4
外部リンク ⇒広島市立舟入高等学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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広島市立舟入高等学校(ひろしましりつふないりこうとうがっこう)は、広島県広島市中区に所在する広島市立高等学校
概要

1921年大正10年)、広島市高等女学校(通称:市女"いちじょ")として開校。100余年の伝統と歴史を有する県内屈指の進学校である。

市女時代の自由な校風を受け継ぎ、伝統的に英語教育に力を入れている舟入高校は、「舟入から世界へ」をスローガンに、21世紀を担う社会のリーダーシップを育成すべく、国際理解教育平和教育にも力を注ぎ、心身共に優れた人間の育成を目指している。2004年度からスーパーイングリッシュランゲージハイスクール (SELHi) に指定されていた。

進路指導も充実しており、地元広島大学および旧帝大を含め、6割近くの生徒が国公立大学に現役合格している。私大では、関関同立を中心に、早慶上理など有名私大へも毎年多数の現役合格者を出している。

学校独自の伝統として、3F精神(ファイト・フェアー・ファイン)・舟入高校体操[1]アルルの女を流そう・組体操なわとびなどがある。

制服の白シャツセーターの左腕上部に舟入高校の3F精神を表す “fff“の刺繍が施されており、女子生徒のスカートの左下にも“fff“の刺繍がある。

舟入高校の制服は、ワンタッチネクタイではない為、ネクタイを結ぶ必要があるが、ネクタイを結ぶことに憧れて入学する生徒も多く、広島県内、特に市内6校の中で最も人気のある制服と言われている。

体育祭では、1年生全員が舟入高校体操を披露し、3年生全員が自前の浴衣を着て盆踊りをする伝統がある。体育祭で最も盛り上がるのは1年生全員による舟入高校体操(通称:舟入体操)で、音楽が流れ始めると共に、2、3年生から拍手、手拍子、大声援が送られる。体育祭の締めは全校生徒によるフォークダンス
校訓

舟入:おのれに徹して人のために生きよう

市女:揺籃を動かす手が世界を動かす
校章

他の市内6校が校樹をモチーフにしているのに対し、本校は「」をモチーフにしている。これは、生徒たちによってデザインされたものである。同様に、校旗のデザインも生徒の手によって行われた。
校樹

アカシヤの木
校歌

1番が「アカシヤに光あり」で始まり、2番が「アカシヤに望みあり」で始まる。
校則

遅刻者ゼロの日は、校内放送でアルルの女が流されるという伝統がある。

2007年携帯電話の持ち込みが許可された。しかし、校内では電源を切ってロッカーにしまうことになっている。校内での使用が見つかった場合、教師によって対応が異なる。厳しい罰則がある場合と見逃される場合がある。

令和3年度までは制服着用時、「女子生徒の靴下の色は白(ハイソックスや踝ソックスは不可)である必要がある。」とされていたが、令和4年度からは制服着用時、「男子生徒・女子生徒の両方において、靴下の色は黒・白・紺(ハイソックスや踝ソックスは不可)」に変更された。

体操服を着用する場合は、「男子生徒の靴下の色が女子生徒と同様に白」である必要がある。(2021年5月現在)

また、男子生徒・女子生徒の両方において「基準服の下に着用する衣類は白無地とする」と定められている。(2021年5月現在)
講堂【アカシヤホール】[2]

舟入高校の特徴は創立時から講堂があることである。

アカシヤホールは、西日本の公立高校で最大にして唯一の専用コンサートホールである。スタンウェイの象牙鍵盤グランドピアノを完備し、入学式、卒業式、文化祭、合唱祭、講演会、定期演奏会、朝会、始業式、終業式などの行事で使用されている。
食堂

舟入高校一階には食堂がある。廊下の入り口から入った正面に2台の食券販売機があり、購入した食券を受取口で渡すことで飲食物を受け取ることができる。食堂ではパン販売も行われている。
沿革1930年頃の広島市の地図。市立女学校が確認できる。

1921年 広島市高等女学校として設立される。

市女の初代校長である今堀友市氏は、当時の女学校教育が「良妻賢母」を育てるという美名のもとに内容が乏しい教育であることに憤り、「真の人間教育」を目指して教育改革を行い実践した。

市女の教育方針は、自由の教育観による人間教育、音楽を通じての情操教育、健康管理と体力作りの各スポーツ推進であった。[3]

モダンな校舎と大正デモクラシーの自由な空気のもと、当時としては珍しく水泳の授業があり、また、創立時から西洋の音楽教育に力を入れ、レコード鑑賞や合唱が盛んな華やかな校風で知られていた。当時、国内トップレベルの管弦楽隊だった呉の海軍軍楽隊が伴奏に訪れ、年に一度、演奏会も行っていた。[4][5][1]

1937年 ヘレン・ケラー女史来校[6]

1943年 広島市立第一高等女学校に改称

1945年 原爆により教師・生徒合わせて676名が亡くなる。爆心地近くでの建物疎開作業中に被爆し、市内の学校の中で最多の犠牲者数となった。また、犠牲となった生徒も1、2年生のほぼ全員だったとされる。


1948年 学制改革により広島市二葉高等学校に改称

1949年 学校再編成により広島県広島舟入高等学校となり、男女共学の学校になる

1949年春、市女同窓生は「乳幼児を預かり、女性達の社会進出を側面からお手伝いする」という思いから、千田保育園を設立。千田保育園は、全国的にも例がない女学校の同窓生が経営、運営する保育園で、市女の校章が園章として引き継がれ、市女の校訓がそのまま園是として継承されている。[3]

1956年 全日制普通科に総合選抜制度が導入される。国泰寺高校観音高校皆実高校基町高校との一括募集となり、「広島市内五校」(後に井口高校が加わり「広島市内六校」)と称される

1980年 設置者である広島市の政令指定都市移行に伴い広島市立舟入高等学校に改称

1991年 総合選抜制度下の「広島市内六校」を東西2学校群に分割。本校は観音高校井口高校とともに西部グループに属する。

1998年 総合選抜制度全廃。


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