「ヒロシマ」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ヒロシマ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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日本への原子爆弾投下 > 広島市への原子爆弾投下
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広島に投下された原爆のキノコ雲。下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾[1]。エノラ・ゲイ乗員のジョージ・R・キャロン軍曹撮影。1945年8月6日午前8時17分、原爆の投下から2分後のキノコ雲。撮影場所は爆心地から7 km離れた旧安佐郡古市町(現:広島市安佐南区古市)の神田橋付近。撮影者は広島市衛生課のレントゲン技師、松重三男。爆心地近くの原爆ドーム(2010年)広島原爆爆心地の島病院跡
原爆ドームの東側にあった本病院の上空約600メートルで原爆が炸裂した。
広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)午前8時15分、連合国のアメリカ合衆国が、枢軸国の日本の広島市に対して原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した出来事である[2]。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)の内、9?16万6千人が被爆から2?4ヶ月以内に死亡したとされる[3]。
原爆投下後の入市被爆者も含め56万人が被爆したとされる[4]。また、わずか3日後の1945年8月9日には、長崎市へも原子爆弾が投下された。「日本への原子爆弾投下」および「長崎市への原子爆弾投下」も参照
広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」と片仮名表記される場合は、広島市への原子爆弾投下に関する言及である場合が多い[5]。
アメリカ軍が広島市に対して投下した原子爆弾「リトルボーイ」(以下「原爆」と記す)自体についても記述する。 この節以下ではアメリカ(合衆国)やその同盟国であったイギリスの行動に視点を置く。
原爆投下側の視点
広島への原爆投下に至る国際的軍事背景詳細および日本の対応などは「日本への原子爆弾投下」を参照。
1939年
8月2日 - ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れアメリカ合衆国(以下アメリカ略)へ亡命したユダヤ人物理学者アルベルト・アインシュタインがフランクリン・ルーズベルト大統領に「大量のウランが核分裂連鎖反応を起こす現象は新型爆弾の製造につながるかもしれない。飛行機で運ぶには重過ぎるので船で運んで港湾ごと爆破することになる。アメリカで連鎖反応を研究している物理学者グループからなる諮問機関をつくるのがいい」と進言する内容の手紙(アインシュタイン=シラードの手紙)を執筆した。
9月1日 - ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した事をきっかけに第二次世界大戦が勃発。
10月11日 - 前述のアインシュタインの手紙がルーズベルトの元に届けられる。
10月21日 - アメリカがウラン諮問委員会を設置。
1940年4月10日 - イギリスが第1回ウラン爆発軍事応用委員会(MAUD委員会)の会議を開催。
1941年
7月15日 - MAUD委員会がウラン爆弾が実現可能だとする最終報告を承認して解散。
10月3日 - MAUD委員会最終報告書が公式にルーズベルト大統領に届けられる。
12月8日 - 日本が第二次世界大戦に参戦(真珠湾攻撃)。
1942年
9月26日 - アメリカの軍需生産委員会
10月11日 - アメリカはイギリスにマンハッタン計画への参画を要請。
1944年9月 - ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相の間でハイドパーク覚書
1945年7月25日、マンハッタン計画の責任者であるレスリー・グローブスが投下指令書を作成し、ハンディ陸軍参謀総長代理からスパーツ陸軍戦略航空軍司令に発せられると同時に、グローブスによれば大統領の正式の承認を得るため、ポツダムに送られたという[7]。