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広島刑務所(ひろしまけいむしょ)は、法務省広島矯正管区に属する刑務所。通称「広刑(ひろけい)」。日本第5の規模を誇る。
下部機関として尾道刑務支所、有井作業場、呉拘置支所、福山拘置支所、三次拘置支所を持つ。 所長の下に4部の組織を持つ。
所在地
広島県広島市中区吉島町13-114
JR山陽新幹線・山陽本線・芸備線・可部線・呉線 広島駅より広島バス吉島線に乗車、羽衣町下車。
収容分類級
I,YB,A,B,P
禁固刑受刑者・若年再犯者・初犯者・再犯者・身体障害者と幅広い分類の受刑者が集まる男子刑務所。
収容定員
1,800人
沿革以前の正面1930年ごろの広島市の地図。広島刑務所が確認できる。1945年被爆後の吉島から北方向を望む。手前左に広島刑務所が見える。
1869年(明治2年)8月 舟入村(現在の中区河原町)に徒罪場を設置
1888年(明治21年)3月 現在地(吉島)に広島県監獄として移設
1890年(明治23年)10月 広島監獄署と改称
1903年(明治36年)4月 広島監獄署を広島監獄と改称
1905年(明治38年)6月 芸予地震により第14工場が全壊、死者2人(職員1・受刑者1)、重傷者4人軽傷者20人(全員受刑者)を出す。他一部施設が部分損壊した。
1922年(大正11年)10月 広島監獄を広島刑務所と改称
1945年(昭和20年)8月6日 原爆投下により職員8名、受刑者15名が死亡した。
2003年(平成15年)改修工事を開始。
2012年(平成24年)1月11日 受刑者の中国籍の男1人が脱獄。2日後に逮捕された(広島刑務所中国人受刑者脱獄事件)。
2022年(令和4年)19年続いた改修工事を終了。定員を従来の1.5倍の1600人に増加させる[1]。
組織
総務部(庶務、会計、用度)
処遇部(処遇、作業)
分類教育部(教育、考査、審査・保護)
医務部(医療、保健)
尾道刑務支所
当施設は60歳以上の高齢受刑者のみを収容。再犯者も多数収容されている。
認知症が進んだり、中には寝たきりになった者も少なくない。そのため、刑務官が介護している場合がある。
これらのことを配慮してか、独居房の壁には受刑者が暴動を起こしてケガしない様に、クッションが敷かれている。
また、受刑者の失禁対策としてカーペットを敷いている。
他の刑務所と同じく刑務作業があるが、ここでも受刑者の失禁に備え、紙おむつが常備されている。
高齢者ということもあり、食事も咀嚼困難な者に配慮し、食材を刻んだいわゆる「刻み食」が用意されている。
著名な受刑者
上祐史浩 - (元オウム真理教幹部)
山上光治 - (ヤクザ)
美能幸三 - (ヤクザ)
波谷守之 - (ヤクザ)
特記事項
アメリカ合衆国軍による広島への原爆投下の際に被爆。熱線による影が外壁に残り、原爆の爆発点算出の基礎とされた。
脚注[脚注の使い方]^ “広島刑務所、19年間の改築工事終了 定員は改築前の1・5倍 。