「広電バス」とは異なります。
広島バス株式会社
HIROSHIMA-BUS CO., Ltd.本社
種類株式会社
市場情報非上場
略称赤バス
本社所在地 日本
〒730-0825
広島県広島市中区光南六丁目1番68号
設立1950年5月24日
業種陸運業
法人番号4240001009574
広島バス株式会社(ひろしまバス、英語: HIROSHIMA-BUS CO., Ltd.)は、広島市を中心とした路線バス・貸切バスを運行する会社である。本社は広島県広島市中区光南六丁目1番68号。 広島市の旧市街(中区・南区・東区・西区)と安佐北区および府中町に14路線16系統の路線網を持つ。安佐北区への路線は小河原町・高陽A団地へ向かう29号線(深川線)と高陽B団地へ向かう30号線(深川線)、府中町を経由する路線は洋光台団地(南区向洋新町)へ向かう21号線(宇品線)のみで、基本的には旧市街を中心に運行している。どの路線でも運行頻度が多く、各系統が集中する広島駅 - 紙屋町間は運行頻度が夜を除いて2分に1本以上の間隔で走っている。 帝産グループの事業を引き受ける形で運行を開始したこともあり[2]、全国の帝産グループ同様に1965年(昭和40年)11月16日から[3]、資本関係の無くなる1971年(昭和46年)8月31日まで『帝産広島バス』という社名を名乗っており[4]、バスの車体には帝産グループ所属バスの特徴であるグレイハウンド犬が描かれていた。その後広島電鉄との関係を深め、1971年(昭和46年)9月8日から[5]、独占禁止法の排除勧告を受け入れる1973年(昭和48年)7月まで、広島電鉄と広島バスが経営統合を行ったこともある(広電バス#昭和40年代のバス事業再編計画参照)[6]。その時の取り決めで増岡組に株式が譲渡され[6]、2013年2月現在も系列の鉄鋼ビルディングを含め65%強の株式を所有する大株主になっている。 広電バスの「青バス」に対して「赤バス」と呼ばれる[7]。広電の株式放出後も、ノンステップバスの試行導入時にお互いに塗色パターンをそろえた車両を同時導入するなど現在も関わりが深い(現在も広島電鉄は広島バスの大株主の一つでもある)。 2008年1月26日にICカード乗車券PASPY使用が広島市内中心部路線で開始され、2009年8月8日の中山・深川線の使用開始により全線で使用可能となった。なお、広島バスでは2017年2月までPASPY定期券は発売せず、紙製定期券のみを発売しており、下車時に乗務員に券面を提示する必要があった。2017年3月1日からPASPY定期券の発売を開始し、紙製の定期券の新規発行を廃止するが、小河原車庫での注文と取次販売は同年6月30日まで暫定措置として継続する[8]。
概要
略歴
1950年(昭和25年)
5月24日 - 会社設立[9]。
8月3日 - 一般乗合旅客自動車運送事業の免許を受ける[9]。
8月26日 - 帝産オート株式会社中国支社の車両と従業員を引き継ぎ[2]運行を開始[9]。当初は全区間均一運賃であった[9]。
1951年(昭和26年)
2月 - 一般貸切旅客自動車運送事業の免許を受ける[9]。
3月1日 - 定期観光バスの運行を開始[10]。
1965年(昭和40年)
2月15日 - 芸陽バスに資本参加[11]。
11月16日 - 「広島バス株式会社」から「帝産広島バス株式会社」に社名変更[11]。
1971年(昭和46年)
8月25日 - 帝産オートとの提携関係が解消されたことにより臨時株主総会開催[5]。
9月1日 - 「帝産広島バス株式会社」から「広島バス株式会社」に社名変更[5]。
9月8日 - 広島電鉄と資本提携[5]。
1973年(昭和48年)
1月15日 - 広島電鉄のバス・電車との連絡定期券を発売開始。
7月17日 - 公正取引委員会より私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)上の競争の実質的制限にあたるとする排除勧告に広島電鉄が同意[12]。
8月9日 - 合意に基づき株式を譲渡し、増岡組傘下となる[12]。
1984年(昭和59年) - 最後までツーマン運転だった中山線がワンマン化され、全線ワンマン化が完了[13]。
2009年(平成21年)2月28日 - 広電バスとの連絡定期券の発売を廃止[14]。
2012年(平成24年)3月9日 - 所有する芸陽バスの全株式を広島電鉄に譲渡した[1]。
2013年(平成25年)12月1日 - 定期観光バスの全コースが廃止となる。
2017年(平成29年)11月1日 - この日より広島市内中心部を走るバスの運賃を180円均一に変更した[15]。
2020年(令和2年)1月26日 - この日より広島市内中心部を走るバスの180円均一運賃のエリアが拡大され、運賃を190円に変更した[16]。