広中雅志
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ひろなか まさし
広中 雅志
プロフィール
本名広中 雅志
[1]
性別男性
出身地 日本東京都渋谷区[2]
生年月日 (1957-12-27) 1957年12月27日(66歳)
血液型A型[2]
職業声優ナレーター[3]
事務所青二プロダクション[4]
配偶者あり[5]
公式サイト広中 雅志|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[6]
身長 / 体重167[2] cm / 63 kg
靴のサイズ25.0[2] cm
活動
活動期間1983年 -
デビュー作『ナイン』(加納)
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

広中 雅志(ひろなか まさし、1957年12月27日[7] - )は、日本男性声優ナレーター[3]東京都渋谷区出身[2]青二プロダクション所属[4]
略歴
キャリア

10歳の頃から学校推薦で東京放送児童劇団[2]に入団[5]。小学校がNHKのすぐ側にあり、朗読といった好きな子供だったという[5]。小学4年生から高校3年生まで、同児童劇団に所属していた[8]。道徳番組、学校放送の番組を中心にテレビ、ラジオに出演し、夏休みには舞台公演なども経験[5][8]。高校卒業の頃には漠然と「この業界で仕事したいな」、「将来は役者になりたい」と考えていた[5][8]

日本大学芸術学部映画学科[2]に進学後、仲間達と16m/mや8m/mで自主制作映画を創っていくうちに、「やっぱりこの業界だ!」と決意[5]

同大学芸術学部映画学科卒業前に受けたオーディションに合格し、同大学芸術学部映画学科卒業後、高橋三千綱事務所に所属し[2]、作家の高橋三千綱の元で芝居をしていた[5][8][9]。ある日、藤田敏八から高橋が映画『スローなブギにしてくれ』に出演することになり、クランクインしていた日活調布撮影所に打ち合わせのため、出掛けるという時に同行させてくれた[5]。その時に藤田は「おうー広中にも役あるゾ」と言って、室田日出男が演じていたマスターが経営するスナックの常連客として、出演したこともある[9]。しかし「一気に俳優として大ブレイク、スターダムを駆け上る!」とは行けず、大学の先輩が家電メーカーにおり、その紹介でアルバイトをしており、大手スーパー、デパートなどのイベントに、冷蔵庫、エアコンのデモンストレーターを務めていた[5]
声優・ナレーターとして

その頃、お金を少し貯めては大学時代の仲間たちとVIDEO作品を作り、コンテストに応募したりもしていた[5]。この時点で声優、ナレーターになろうという意識はなかったが、付き合い出したのちに妻になる女性がおり、「ちょっと腰を落ち着けて仕事をしよう」と思い、声の業界へのアプローチを考えていたという[5][8]。子役として使ってくれたNHKのディレクターからラジオドラマに出演してもらっており、モノローグを読むことも得意だったこともあり、「“声”の仕事の方が、こまごまとした仕事が貰い易いのでは」という甘い考えがあり、青二プロダクションにアプローチしていた[5][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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