幾何学
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18世紀の百科事典の幾何学図形の表。最先端の物理学でも用いられるカラビ-ヤウ多様体の一種。現代幾何学では図も描けないような抽象的な分野も存在する。20世紀における初等幾何学の授業風景。

幾何学(きかがく、古代ギリシア語: γεωμετρ?α)は、図形空間の性質について研究する数学の分野である[1][2]

もともと測量の必要上からエジプトで生まれたものだが、人間に認識できる図形に関する様々な性質を研究する数学の分野としてとくに古代ギリシアにて独自に発達し[3]、これらのおもな成果は紀元前300年ごろエウクレイデスによって『ユークリッド原論』にまとめられた[2]。その後中世以降のヨーロッパでユークリッド幾何学を発端とする様々な幾何学が登場した[3]

単に幾何学と言うと、ユークリッド幾何学のような具体的な平面や空間の図形を扱う幾何学をさすことが多く、一般にも馴染みが深いが[3]、対象や方法、公理系などが異なる多くの種類の幾何学が存在し[1]、現代においては微分幾何学代数幾何学位相幾何学などの高度に抽象的な理論に発達・分化している[2][3]
語源

クリストファー・クラヴィウスの門下生のイエズス会マテオ・リッチと中国徐光啓は、1607年に、クラヴィウスによる注釈付きのユークリッドの『原論』 (“Euclidis elementorum libri XV”)の前半6巻を『幾何原本』に翻訳した[4][5]

また1680年頃にジョアシャン・ブーヴェジャン=フランソワ・ジェルビヨンはIgnace-Gaston Pardies(英語版)の”Elements de geometrie”を同様の名前の『幾何原本』に翻訳した[6]。一般に「幾何学」という語は、マテオ・リッチによる geometria の中国語訳であるとされるが[7]、本文中では「幾何」は「量」という意味で使われている[4][8]。また以前は geometria の冒頭の geo- を音訳したものであるという説が広く流布していたが、近年の研究により否定されている[8]。「幾何」という漢字表記そのものは「幾らであるか」といった程度の意味であり九章算術孫子算経には多くこの表現が見られる。訳語としての「幾何」は元はアリストテレス哲学にでてくる10の範疇うちの一つ「量」の訳語であり、「幾何学」についてはmathemathicaの訳語であった。このことはジュリオ・アレーニの『西学凡』の中で明文化されて説明されている[8][9]。この語がgeometryにのみ関連付けられる習慣が定着したのは19世紀半ば以降であると思われる[8]
歴史

以下では様々な幾何学の発展とその概要を、歴史にのっとって時系列順に述べることとする。
起源

幾何学(ジオメトリー)の語源は「土地測量」であり[注釈 1]、起源は古代エジプトにまで遡ることができる[10]

古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの記録[10][11]では、エジプトでは毎年春になるとナイル川が氾濫し、エジプトの砂漠に農耕を可能にする河土を運んでくるが、去年の畑の境界線はすべて流れてしまう。そのため、印をつけた縄でまっ平らになった土地を元どおり区割りする「縄張り師」と呼ばれた測量専門家集団が現れ、土地測量術が発達した。現在、ピタゴラスの定理として知られている数学定理が、古代エジプトではすでに5000年前に経験則として知られ、縄張り師たちは3:4:5の比率で印をつけた縄を張って、畑の角の直角を取ったという[3]



直角二等辺三角形におけるピタゴラスの定理の適用。 1 2 + 1 2 = 2 {\displaystyle {\sqrt {1^{2}+1^{2}}}={\sqrt {2}}} である。

古代から世界各地で知られていたピタゴラスの定理の証明の一種。下と右の正方形の面積の和は左の正方形の面積に等しい。

古代中国におけるピタゴラスの定理の証明。

古代バビロニアにおけるピタゴラスの定理。


古代ギリシャの幾何学

幾何学が大きな進歩を遂げた最初は、他の数学の分野と同じように古代ギリシアにおいてであった。
初期のギリシャ幾何学

人物としては、タレスピタゴラスなどが有名である[10]。タレスは三角形の合同を間接測量に応用し、ピタゴラスらはこれらを証明により厳密に基礎づけた[10]。彼らはそこで多くの定理を発見し、幅広くそして深く図形を研究したが、特に注記すべきなのは、彼らが証明という全く新しい手法を発見したことである。
数学的意味での証明の誕生と原論の成立

パピルスに記録されたユークリッド原論の断片。

原論の著者とされるユークリッド。

とくにピタゴラスは後のギリシャ数学者達に影響を与え、ユークリッドもその一人であった[3]。自明な少数の原理(公理など)から厳密に演繹を積み重ねて当たり前とは思えない事柄を示していくやり方は、ユークリッドの手により『原論[12]』において完成され、後の数学の手本となった。ユークリッドの手により証明をもとに体系化されたギリシャ数学は、曖昧さが残るエジプトやバビロニアのものより圧倒的に優位であったといえる[3]

曖昧な経験の集積ではなく、それらを体系化された理論にまとめあげ少数の事実から全てを演繹するという手法は長らく精密科学の雛型とされ[11]、後世ではニュートンの古典力学なども同様の手法で論じられている。このような手法は古代ギリシャにのみ誕生したが、それは何故かという問題は科学史の重大な問題である[11]

ユークリッド原論はB.C.300年ごろに出版され、全13巻からなり、幾何学以外にも数論なども記述があるが、これらも幾何学的に取り扱われた[10]。また原論は幾何学のバイブルとしてその後2000年以上にも渡って愛読され続けた[3]
後期のギリシャ幾何学

正五角形の古典的作図法。ユークリッド幾何学では定規は直線を引くためだけに用い、コンパスは紙から離したらすぐに閉じねばならない(何かの長さをコンパスでとり他の何かの長さと比較するなどして他の何かの長さを推察できない)という厳格なルールがある[13]

円錐曲線論(Dandelin spheres)に関する図。

その後前三世紀ごろにペルガのアポロニウスによって円錐曲線論(コニカ)がまとめられ[14]天文学の発達により前一、二世紀ごろに三角法も誕生した。


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