幽公 姫柳
晋
公(周制における爵位は侯)
王朝晋
在位期間紀元前434年 - 紀元前416年(『史記』六国年表では、紀元前438年 - 紀元前420年)
都城新絳
姓・諱姫柳
諡号幽公
没年紀元前416年
父哀公
后妃秦?
幽公(ゆうこう、生年不詳 - 紀元前416年)は、中国の春秋時代の晋の君主。姓は姫、名は柳。 晋の哀公の子として生まれた。紀元前434年、哀公が死去すると、後を嗣いで幽公が晋公として即位した。幽公のときには、以前とは逆に韓・趙・魏の君主のもとに朝見に赴く立場となっていた[1]。紀元前421年、幽公は魯の季孫と楚丘で会合した。魯が葭密を奪って、ここに築城した[2]。紀元前416年、幽公はひそかに夜間に邑中に出て、婦人と淫行に及んでいたが、このときに盗賊に殺害された[3]。子の烈公が晋公として即位した[1]。
生涯
脚注^ a b 『史記』晋世家
^ 『水経注』済水所引『竹書紀年』
^ 『史記』晋世家による。同書六国年表によると、魏が幽公を殺害したという。『史記索隠』晋世家所引『竹書紀年』によると、夫人の秦?が幽公を寝台の上で殺害したという。
表
話
編
成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂
翼宗家
昭侯前745-前739
孝侯前739-前724
鄂侯前723-前718
哀侯前717-前710
小子侯前709-前706
晋侯緡前706-前679断絶
曲沃分家
桓叔前745-前731
荘伯前731-前716
武公前716-前678
曲沃の武公が翼の晋侯緡を滅ぼし、晋が再統一される
武公前678-前677
献公前676-前651
奚斉前651
卓子前651
恵公前650-前637
懐公前637-前636
文公前636-前628
襄公前627-前621
霊公前620-前607
成公前606-前600
景公前599-前581
詞前580-前573
悼公前572-前558
平公前557-前532
昭公前531-前526
頃公前525-前512
定公前511-前475
出公前474-前457
哀公前456-前438
幽公前437-前420
烈公前419-前393
孝公前392-前378
静公前377-前376
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