幸袋線
小竹町内県道74号線交差部の鉄橋跡
右が二瀬方、左が小竹方
奥は筑豊本線で右が原田方
基本情報
国 日本
所在地福岡県
起点小竹駅
終点二瀬駅
駅数5駅(他に貨物駅1、信号場1)
開業1894年12月28日
廃止1969年12月8日
所有者日本国有鉄道
運営者日本国有鉄道
路線諸元
路線距離7.6 km(小竹-二瀬間)
0.6 km(二瀬-枝国間)
1.0 km(幸袋-高雄間)
2.5 km(幸袋-伊岐須間)
軌間1,067 mm
線路数単線
電化方式非電化
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
0.0小竹駅
2.2目尾駅 (II)
4.6
0.3*
高雄分岐点 -1945
4.9
0.0*
幸袋駅
0.5*庄司駅 -1945
1.0*高雄駅 -1945
6.5
1.6*
川津信号場
2.5*伊岐須駅
6.9新二瀬駅
7.6
0.0**
二瀬駅
0.6**枝国駅 -1965
幸袋線(こうぶくろせん)は、かつて福岡県鞍手郡小竹町の小竹駅と飯塚市の二瀬駅の間を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。赤字83線に指定され、1969年(昭和44年)12月8日に廃止された。 廃線まで全線非電化路線であり、1957年(昭和32年)2月1日のダイヤ訂補で、時刻表には全ての旅客列車が気動車による運行と表記されている。 担当機関区は直方機関区。 1967年(昭和42年)10月1日改正のダイヤ以前までは直方からの上り直通列車が、1968年(昭和43年)10月1日改正のダイヤ以前までは若松からの上り直通列車が筑豊本線から漆生線漆生行きの列車に併結運転でそれぞれ一日に一本運行されていた。 下記は1968年10月1日ダイヤ改正時、旅客列車の時刻表。 停車駅 1968年(昭和43年)9月4日の国鉄諮問委員会から提出された意見書により赤字83線に指定された幸袋線は、飯塚市中心部ではなく小竹・直方方面へ路線が延びていたため、地域交通の流動の主要ルートからも外れており、1967年度(昭和42年度)の収支係数は740、つまり100円の収入を得るのに740円かかるという大幅な赤字路線であった。だが、周辺の炭鉱の閉山が相次いだとはいえ、毎日110トン(貨車7両分)の貨物輸送と143人の通勤通学客の利用があった。 しかし、終点の二瀬駅からは嘉穂郡穂波町(現・飯塚市)の日鉄鉱業二瀬炭鉱まで貨物線が延びており、ほぼ線路が飯塚市を分断していることから市の発展を妨げているとされ、飯塚市でも廃止の方向が強まった。そこで国鉄門司鉄道管理局と飯塚市役所の担当者が、貨物輸送に利用している会社や通勤通学者の家を1軒1軒訪問し、廃止の同意を取り付けた。沿線の二瀬・幸袋地区でも廃止のうえ道路を整備してほしいとの声があがっており、反対運動は起こらなかったようである。その後1969年(昭和44年)3月18日に飯塚市議会が幸袋線廃止の意見書を採択、同年12月7日のさよなら列車の運行をもって廃止された。幸袋線は赤字83線の中で最初に廃止された路線となり、この廃止までの動きはその他の路線廃止の取り組みのモデルともなった。
路線データ(最終時)
路線距離(営業キロ):
小秩B- 二瀬 7.6 km
幸袋 - 伊岐須 2.5 km(貨物支線)
軌間:1067 mm
駅数:5駅(起点駅含む。他に貨物駅1。信号場1)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式(全線1閉塞)
運行形態
列車番号521D523D525D527D522D524D526D528D列車番号
7:2416:3717:4019:16↓小竹↑6:278:0417:2718:26
7:2916:3717:4519:21目尾6:238:0017:2318:21
7:3416:3717:5119:27幸袋6:187:5517:1818:16
7:3916:3717:5719:32新二瀬6:137:5017:1318:11
7:4216:3718:0019:35二瀬6:107:4717:1018:07
歴史
廃止までの経緯
年表
1894年(明治27年)12月28日 - 筑豊鉄道が小秩B- 幸袋間および幸袋 - 幸袋炭坑間の貨物支線を開業、幸袋・(貨)幸袋炭坑の各駅を開業[1]。
1897年(明治30年)10月1日 - 筑豊鉄道が九州鉄道に合併[2]。
1899年(明治32年)12月26日 - 幸袋 - 潤野間・伊岐須分岐点 - 伊岐須間の貨物支線を開業、(貨)潤野・(貨)伊岐須の各駅を開業。
1901年(明治34年)3月31日 - 幸袋 - 幸袋炭坑間の貨物支線を廃止、(貨)幸袋炭坑駅を廃止。
1903年(明治36年)11月28日 - 目尾分岐点 - 目尾間の貨物支線を開業、(貨)目尾駅を新設。
1907年(明治40年)7月1日 - 鉄道国有法により九州鉄道を買収、官設鉄道となる[2]。
1908年(明治41年)3月28日 - 幸袋 - 潤野間の貨物支線を延伸開業、(貨)潤野駅を新設。
1909年(明治42年)
1月1日 - 高雄分岐点 - 高雄間・潤野 - 枝国間の各貨物支線を開業、庄司・高雄・枝国の各貨物駅を開業[3][4]。
10月12日 - 国有鉄道線路名称制定により小秩B- 幸袋間・貨物支線(目尾分岐点 - 目尾間、高雄分岐点 - 高雄間、潤野 - 枝国間)を幸袋線とする。
1912年(明治45年)7月21日 - 蒸気動車運行開始(小竹-二瀬間)[5]
1913年(大正2年)11月25日 - (貨)潤野駅を二瀬駅に改称、伊岐須分岐点を川津聯絡所に改め、幸袋 - 二瀬間で旅客営業を開始。蒸気動車運転開始(幸袋-二瀬間)[6]
1920年(大正9年)4月11日 - 目尾分岐点 - 目尾間の貨物支線を廃止し目尾駅構内に併合、目尾駅を本線上に移設し旅客営業開始。
1922年(大正11年)4月1日 - 川津聯絡所を信号場に改める。
1930年(昭和5年)4月1日 - 高雄分岐点 - 高雄間、川津信号場 - 伊岐須間の貨物支線の起点を幸袋駅に変更し、区間をそれぞれ幸袋 - 高雄間、幸袋 - 伊岐須間(幸袋 - 川津信号場1.6 kmは本線と重複)とする[3]。
1945年(昭和20年)6月10日 - 幸袋 - 高雄間の貨物支線を幸袋駅構内に併合、庄司・高雄の各貨物駅を廃止し幸袋駅構内扱いとする[7]。
1957年(昭和32年)2月1日 - レールバスを導入[8]。