幸福号出帆
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幸福号出帆
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル長編小説恋愛小説
発表形態新聞連載
初出情報
初出『読売新聞1955年6月18日号-11月15日号
刊本情報
出版元新潮社
出版年月日1956年1月30日
装幀田崎広助
総ページ数321
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『幸福号出帆』(こうふくごうしゅっぱん)は、三島由紀夫長編小説。全20章から成る。密輸に手を染めるイタリア人混血の兄と、オペラ歌手志望の日本人の異父妹が、様々な恋愛模様や珍騒動を越え、逃避行の旅へ出帆する物語。現実とオペラ『カルメン』が交錯するスリリングな展開の娯楽的な趣の中にも、兄妹のまま永久に終わらない愛に旅立つ男女の純愛が描かれている。三島の妹・美津子(17歳で早世)の面影がヒロインに重ねられていることが看取される作品である[1][2]

1955年(昭和30年)、『読売新聞』6月18日から11月15日に連載された[3]。単行本は翌年1956年(昭和31年)1月30日に新潮社より刊行された[4]。文庫版は1978年(昭和53年)6月に集英社文庫、1996年(平成8年)7月にちくま文庫[4]2010年(平成22年)11月に角川文庫で刊行された。

三島没後10年の1980年(昭和55年)11月15日に藤真利子主演で映画化された[5]
執筆背景・構成

構成は、前半部分は「グランド・ホテル形式」(ホテルのような一つの大きな場所に様々な人間模様をもった人たちが集まって、そこから物語が展開するスタイル)に基づいた構成を取り入れていると見られており、バルザックの『ゴリオ爺さん』の下宿屋・ヴォケール館の食堂に当たるのが、オペラ歌手・歌子の邸宅の食堂兼居間となっている[6]

『幸福号出帆』は、このようにフランス伝統の物語形式を積極的に取り入れているが、その方法理念や小説技法を、より洗練し活用したのが、のちの『鏡子の家』とされ[6]、『幸福号出帆』の「実験」がなければ後発の純文学作品『鏡子の家』は生まれなかったといわれている[6][7]

なお当初、題名は、「孔雀の譲位」「歌と黄金」「女神と脇仏たち」なども考えられていた[8]
時代背景

作中には、街頭テレビや、ヒロインが手で洗濯をする場面があるが、この当時はまだ一般家庭にテレビも洗濯機さえもなかった時代であった[2]。また現代で「密輸」といえば麻薬であるが、『幸福号出帆』の主人公たちが手を染めるのは高級腕時計などの「密輸」である。これは当時の日本が完全な保護貿易主義下にあり、輸入品には多額の関税が課せられていたため、時計などの品物の密輸が東京湾一帯で横行していた[2]。三島の「創作ノート」にも当時の密輸事件に関する新聞記事の切り抜きが貼られており、1955年(昭和30年)2月8日未明に輸出砂糖の横流し船団が隅田川で逮捕され、主犯格の4名が指名手配される事件と、同年5月4日にスイス製時計を密輸入した麻薬王の中国人が3名逮捕される事件があった[8]

『幸福号出帆』は、三島の作品の中ではいわゆる純文学ではなく、エンターテイメント作品に属するが、それでも執筆のための取材や調査は徹底して行われていたことが、三島の死後に発見された「創作ノート」で明らかとなり、娯楽作品にも手を抜くことがなく、エンターテイメントには「時代相」を濃厚に反映させなければならないという、プロの作家の使命感が強くあったことが窺われている[2][9]
あらすじ

銀座のデパート店員・山路三津子はオペラ歌手を夢みながら、月島の古い借家で母・正代と、兄・敏夫と暮していた。一家は家主に立ち退きを迫られていた。敏夫は正業に就かず、家にもあまり帰らなかったが、三津子には贅沢な洋食を御馳走したり服を買ってやったりする妹思いの兄だった。女に貢がれているんだと敏夫は説明していたが、三津子は兄が勝鬨橋付近で何か秘密の受け渡しをしているのに気づいていた。2人は父親の違う兄妹で、三津子の実父はすでに亡くなり、敏夫の実父はイタリア人で、敏夫は混血であった。しかし三津子は細かい家庭の事情はほとんど気にせず、幼い時から兄が大好きだった。

梅雨入り間近のある日、母・正代は朝刊の「ソプラノ歌手 コルレオーニ・歌子さん イタリア人亡夫の3,000万円の遺産を承く」という記事を見て喜んだ。貧乏暮らしに光が見えた正代は息子と娘を連れ、渋谷神山町の歌子の家を訪ねた。歌子の夫のイタリア人オペラ歌手・コルレオーニは、敏夫の実父だったからだ。歌子と正代は昔の恋の宿敵だったが、オペラ歌手仲間でもあった。歌子と正代は懐かしい感激の対面をした。マスコミのフラッシュがたかれる中、歌子は話題作りの宣伝のため瞼の母を演じ、敏夫を自分の子だと記者会見したりした。歌子邸にはコルレオーニが本国へ帰った後、彼の門下生の歌手4人とその家族の計10人が間借りしていた。山路一家も歌子邸に間借りすることとなり、その代りに老嬢のアルト歌手・高橋ゆめ子が邸を追い出された。

歌子の歌劇団は三津子を加えて心機一転、「帝国オペラ協会」と名付けられた。悪知恵の働く敏夫は、遺産相続納税額を自分が苦心して半額にしてもらったと歌子に大嘘をつき、歌劇団の会計係を任されることになった。その一件の際、口裏を合わせた敏夫の元同級生の税理士・松本は、敏夫と歌子からお礼として二子玉川料理屋に招かれ、そこに友人の富田を誘った。税関吏の富田は三津子に一目ぼれをした。一方、歌子邸の間借人のテノール歌手・萩原も三津子を好きになっていた。しかし萩原は歌子のつばめ(愛人)だった。

敏夫の年上の情婦で、銀座のレストラン「イタリア亭」のマダム・房子は、実はある密輸組織の東京港支部のボスだった。敏夫はそのことは全く知らずに下っ端の小包買人「19号」をやっていたが、歌子邸に居候してからは足を洗った。房子の密輸組織の黒幕は元GHQ関係者のアメリカ人・ハワードという男で、今は香港にいた。房子は未亡人で元男爵夫人だったが敗戦後の財産税に苦しめられ、ハワードの愛人となり密輸の道へ手を染めて行ったのだった。「イタリア亭」の特別室にはハワードの腹心三国人・張や取引商人が秘密裡に出入りしていた。そんな「イタリア亭」にいつの間にか、高橋ゆめ子が就職し、クローク係から会計係に出世していた。ゆめ子はその実直な働きぶりを買われ、房子の密輸の腹心となった。

帝国オペラ協会が11月15日に『椿姫』を公演することとなった。敏夫の悪知恵により主役ヴィオレッタは歌子から三津子に決定した。三津子はデパートを退職し本格的デビューをすることになった。ところが前日の舞台稽古の際に、楽屋で三津子と萩原が接吻しているのを、ゆめ子の導きで知った歌子が怒り、三津子は役から外された。三津子は芸術家たちのねちねちした内情に失望し、これをきっかけに敏夫と家出して清洲橋のたもとにあるアパートで暮らしはじめた。敏夫は前々から、歌子の金を持ち逃げして妹と2人だけで暮らすことを準備していたのだった。敏夫は歌子から盗んだ500万円から、小さな木造の機帆船船長と機関手ごと買い取り、彼らと東京湾内でカタギ荷役の仕事を始めた。船の名前は「幸福号」で登記した。

恋しい敏夫と会えなくなった房子が、敏夫の子分のようになっている「18号」と会い、敏夫の居所をつきとめた。敏夫と離れていたくない房子はゆめ子の入れ知恵で、自分たちの身元を明かし、兄妹一緒に密輸組織の仲間に引き入れることにした。ちょうど三津子は、アパートで隠れて生きる単調な暮らしに飽き、スリルを求めていたので、兄妹は密輸仲間に加わり、ハワード名義の牛込の房子邸に同居することになった。敏夫は荷役の仕事でカモフラージュにしながら、高級腕時計やサントニンなどの密輸品の運搬をやった。

新年となった。税関の検査が厳しくなり、香港から「乗船監吏を至急仲間に引き入れろ」という電文が来た。三津子は富田のことを思い出し、彼を誘惑することに決めた。


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