幸堂得知
[Wikipedia|▼Menu]

幸堂 得知(こうどう とくち、本名:高橋利平、天保14年(1843年1月 - 大正2年(1913年3月22日)は、明治時代文人黄表紙の流れを汲む軽妙な滑稽味が持ち味の作家。「江戸通人の風格」[1]を持つ演劇通で、多くの劇評を新聞紙上などで発表した。饗庭篁村らと親しく、根岸派の1人と目された。
生涯

1843年(天保14年)、江戸
下谷車坂町に生まれる。父は青物商高橋彌平、高橋夢叟として『上野公園沿革史』の著者でもある。

1869年(明治2年)、三井両替店(のちの三井銀行)に入社。

1870年、上司の鈴木利平の養子となる。

1878年以降、時折、文章を読売新聞紙上で発表するようになる。

1888年、三井銀行を退職。

1889年以降、本格的に文筆で身を立てるようになる。

1891年、東京朝日新聞に入社。

1892年より「歌舞伎新報」編集に携わる。

1913年(大正2年)、死去。

^ 越塚和夫編の年譜

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

WorldCat

国立図書館

ドイツ

イスラエル

アメリカ

日本


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:2748 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef