年越し派遣村(としこしはけんむら)は、リーマン・ショックの影響により派遣切り等がおき、複数のNPO及び労働組合によって組織された実行委員会が2008年12月31日から2009年1月5日まで東京都千代田区の日比谷公園に、生活困窮者が年を越せるように開設した一種の避難所である。日比谷公園 キャッチコピーは「日比谷で年末年始を生き抜く。」[1] イベントの発起は、湯浅誠によると「同様の問題意識を持つ人たちと昨年暮れに、東京・飯田橋の居酒屋で飲んでいて、話が決まった」という[2]。 運営体制(2008年)名誉「村長」宇都宮健児(反貧困ネットワーク代表・弁護士) 2008年12月31日に日比谷公園の霞門付近に開設され、自立生活サポートセンター・もやい、全国コミュニティ・ユニオン連合会などが中心となって組織された実行委員会が、炊き出しや生活・職業相談、生活保護申請の先導を行った。また、ハローワークが業務を開始する1月5日までの簡易宿泊所を設置した[3]。 2009年1月2日には、実行委員会からの要請によって厚生労働省が自省の建物内にある講堂を、同省が業務を開始する1月5日の午前9時まで宿泊所として提供することになった[4]。一方、実行委員会では、1月5日以降の宿泊場所も提供するよう同省に要請し、この結果、中央区に2箇所、練馬区と山谷に各1箇所、計4箇所の臨時シェルター設置が決まった。同年1月5日、派遣村の撤収作業が行われた。 期間中に派遣村を訪れた失業者はおよそ500人、参加ボランティアは1680人、寄せられた義捐金は2315万円となった[5]。 1月4日、厚労省と東京都は5日以降の簡易宿泊施設として中央区京華スクエア体育館、中央区十思スクエア体育館、東京都石神井学園用体育館、山谷地域越年越冬対策宿泊援護事業なぎさ寮を12日まで提供し、毎日500人分の宿泊所と食事を提供することを決定した[6]。 1月5日、全国労働組合総連合と日本自治体労働組合総連合共に「村民」らが日比谷公園から国会議事堂までのデモを行った。 1月9日までに派遣村に集まった人のうち223人が生活保護を申請し、大半の人間へ受給が決定している。12日以降は、実行委員会が東京都内の2つの旅館を借りて宿泊場所や食事を提供することを決定した[7]。 派遣村から移った都内の施設でハローワークが出張実施している就職相談では、住み込みで働ける仕事を中心に4000件以上の仕事が紹介され、9日までに125人が求職の登録をした[8]。 実行委員会は2009年6月末に村民へのアンケートの結果をまとめ、回答が得られた108人のうち就労が確認できたのは13人としている。集められた寄付金は5000万に達したが、使途明細が公表されることなく実行委員会が解散した[9]。 当時の与党からは自由民主党の大村秀章厚生労働副大臣と片山さつきが、野党からは民主党の菅直人、日本共産党の志位和夫、社会民主党の福島瑞穂、国民新党の亀井久興、新党大地の鈴木宗男などが派遣村を視察、スピーチする。
概要
実行委員会による開催(2008年)
「村長」湯浅誠 (特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長)
主催「派遣村」実行委員会
事務局全国コミュニティ・ユニオン連合会
日比谷公園撤収後
年越し派遣村に関する発言や対応
政府など
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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