この項目では、映画プロデューサーについて記述しています。経営学者の同名の人物については「平野隆 (経営学者)」をご覧ください。
元サッカー選手の「平野孝」あるいは「平野孝 (歴史学者)」とは別人です。
ひらの たかし
平野 隆
出生地 日本・大分県竹田市
職業映画プロデューサー 映画監督
ジャンル映画
受賞
日本アカデミー賞
優秀作品賞
2018年『64(ロクヨン)』
その他の賞
日本映画プロフェッショナル大賞
作品賞
2002年『害虫』
2004年『下妻物語』ヨコハマ映画祭
最優秀作品賞
2004年『下妻物語』
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平野 隆(ひらの たかし)はTBSテレビ エキスパート職(役員待遇)、TBSスパークルエンタテインメント本部ドラマ映画部エグゼクティブクリエイター、映画プロデューサー、映画監督である。 大分県[1]@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}竹田市[要出典]出身。大分県立大分上野丘高等学校[2]、一橋大学卒業後[1]、1991年TBS入社[3]。同期にはアナウンサーの安東弘樹(現在はフリー)、秋沢淳子が、他職では武田一顯(TBSラジオ国会担当記者)、竹内明(報道局記者・キャスター)、大久保竜(制作局プロデューサー)らがいて、TBSが1991年9月までおよそ30年使用していた筆記体ロゴ時代最後の入社組である[要出典]。 4年間テレビドラマ制作現場を経験する。その後、1996年に事業局映像事業センター映像事業への異動により映画製作に携わるようになる。上司である濱名一哉の指導のもと、製作を学び、2人で映画事業部の基礎を築く。映画事業部次長、映画事業部担当部長・企画統括[3]、映画・アニメ事業部エキスパート職(部長待遇)、エキスパート職(局次長待遇)、エキスパート職(局長待遇)を経て2022年7月1日付で現職。
来歴
主な作品
プロデューサー
虹をつかむ男 南国奮斗篇(1997年、山田洋次監督)[4]
アンドロメディア(1997年、三池崇史監督)[4] ※脚本としても参加[要出典]
ウルトラマンティガ・ダイナ&ガイア 超時空の大決戦(1999年、小中和哉監督)[4]
ドリームメーカー(1999年、菅原浩志監督)[5]
ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY(2000年、村石宏實監督)
ダブルス
害虫(2002年、塩田明彦監督、2001年ヴェネツィア国際映画祭現代部門正式出品)[4]
DRIVE(2002年、SABU監督)[4]
黄泉がえり(2003年、塩田明彦監督)[4]
MOON CHILD(2003年、瀬々敬久監督)[6]
ドラゴンヘッド(2003年、飯田譲治監督、2003年度映像技術賞受賞)[4]
下妻物語(2004年、中島哲也監督)[4]