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出典検索?: "平野俊貴"
ひらの としき平野 俊貴
プロフィール
本名平野 俊弘〈ひらの としひろ〉
生年月日 (1956-10-03) 1956年10月3日(67歳)
出身地 日本・東京都新宿区
出身校千代田デザイナー学院
職業
アニメーター
キャラクターデザイナー
アニメ監督
所属平野俊貴事務所(代表)
ジャンルアニメーション
配偶者垣野内成美
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平野 俊貴(ひらの としき、(1956年10月3日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督。本名及び旧名義は平野 俊弘(ひらの としひろ)[1]。東京都新宿区出身[2]。有限会社平野俊貴事務所代表。
妻はアニメーターで漫画家の垣野内成美[3]。 千代田デザイナー学院グラフィックデザイン科2年在学中に東映動画の制作現場を見学し、これをきっかけに東映動画にアルバイトを申し入れるも、そういう形態の雇用はしていないということでスタジオNo.1を紹介してもらい、そこで動画を描き始める[2]。その後湖川友謙率いるビーボォー、自ら率いるスタジオイオ、石黒昇率いるアートランド、三浦亨率いるAICなどを経て、現在は有限会社平野俊貴事務所の代表を務めている。 1982年、アートランド時代にキャラクター作画監督を務めたテレビアニメ『超時空要塞マクロス』で描いた女性キャラクターの色気が評判となり、アニメファンから注目を浴びる存在となる。1984年公開の劇場アニメ『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』に続き、アートランドが1985年に製作したOVA『メガゾーン23』ではキャラクターデザインに抜擢される。この年にはテレビアニメ『忍者戦士飛影』でもキャラクターデザインを担当するなど、一躍人気アニメーターの仲間入りを果たした。 監督デビュー作のOVA『戦え!!イクサー1』は、友人の阿乱霊と共に久保書店へ持ち込んで実現した企画。特撮風味とスプラッタホラー要素が一定の支持を得て、シリーズ化されるヒット作品となった。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、同作品から特撮独自のモチーフをアニメーションで表現する作風が顕著になったと評している[4]。1980年代後半は『破邪大星ダンガイオー』『冥王計画ゼオライマー』『大魔獣激闘 鋼の鬼』といったマニア向けOVAの監督を担当し、根強い固定ファンを掴む。 『破邪大星ダンガイオー』と『大魔獣激闘 鋼の鬼』は元々、平野が監督する予定も幻に終わった『マジンガーZ』のリメイク作品『大魔神我』の企画を個別に再構成したものである。 1990年には、特撮映画『ゴジラvsビオランテ』のコミカライズ『ゴジラ1990』を手掛けた[4][1]。 1990年代以降は東京ムービーを拠点にアニメ監督業を軸として活動しており、『イクサー1』と同じく特撮、スプラッタ、ホラー、アクションの要素を兼ね備えた『デビルマンレディー』が好評を博すなど活躍している。 また、妻の垣野内成美の代表作『吸血姫美夕』シリーズや『風雲三姉妹LIN』シリーズの原作協力者の一面を持つ。
略歴
参加作品
テレビアニメ
1976年
大空魔竜ガイキング (動画)
一休さん (動画)
1977年
アローエンブレム グランプリの鷹 (原画)
1978年
宇宙海賊キャプテンハーロック (原画)
無敵鋼人ダイターン3 (原画)
キャプテンフューチャー (原画)
1979年
ザ☆ウルトラマン (原画)
機動戦士ガンダム (原画)
花の子ルンルン (原画)
宇宙空母ブルーノア (原画)
科学忍者隊ガッチャマンF(原画)
1980年
伝説巨神イデオン (原画)
1981年
Dr.スランプ アラレちゃん(作画監督)
1982年
超時空要塞マクロス(原画・作画監督)
1983年
うる星やつら(1981年版)(作画監督)※平野俊弘名義
プラレス3四郎(作画監督)※平野俊弘名義
1985年
忍者戦士飛影(キャラクターデザイン) ※女性キャラクターのみ
1987年
きまぐれオレンジ☆ロード(EDアニメーション[注 1])※平野俊弘名義
1994年
魔法騎士レイアース(監督・絵コンテ)