平篤行
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 凡例平篤行
時代平安時代前期
生誕不明
死没延喜10年(910年)1月
官位従五位上大宰少弐
主君醍醐天皇
氏族光孝平氏
父母父:興我王
兼盛
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平 篤行(たいら の あつゆき)は、平安時代前期の貴族歌人光孝平氏山城守・興我王の次男。官位従五位上大宰少弐
経歴

仁和2年(886年)篤行を含む興我王の子女5人が平朝臣姓を与えられて臣籍降下する。

寛平5年(893年文章生に補されると、秀才を経て、寛平10年(898年対策に及第し、翌昌泰2年(899年式部少丞に任ぜられる。

延喜3年(903年従五位下三河守に叙任されて地方官に転じると、延喜8年(908年筑前守、延喜9年(909年)には大宰少弐を兼帯するなど地方官を歴任した。またこの間の延喜8年(908年)には治国の功労により従五位上に叙せられている。延喜10年(910年)1月卒去。

勅撰歌人として、『古今和歌集』に和歌作品1首が採録されている[1]
官歴

注記のないものは『古今和歌集目録』による。

仁和2年(886年) 7月15日:臣籍降下平朝臣姓)[2]

寛平5年(893年) 日付不詳:文章生(字平津)

時期不詳:秀才

寛平10年(898年) 2月23日:大和大掾。日付不詳:伊勢権少掾。3月29日:対策及第

昌泰2年(899年) 正月11日:式部少丞

延喜2年(902年) 2月23日:式部大丞

延喜3年(903年) 正月7日:従五位下三河守

延喜7年(907年) 正月:得替

延喜8年(908年) 正月:従五位上(治国)。正月12日:加賀守。2月23日:筑前守

延喜9年(909年) 9月29日:兼大宰少弐

延喜10年(910年) 正月:卒去

脚注^ 『勅撰作者部類』
^ 『日本三代実録』


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