平田延胤
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 凡例平田延胤
時代江戸時代末期・明治時代初期
生誕文政11年(1828年9月
死没明治5年1月24日1872年3月3日
享年45
別名延太郎
出羽国久保田藩
氏族平田氏(伊勢平氏系)
父母父:平田銕胤
母:千枝(平田篤胤娘)
兄弟三木鉄弥
平田胤雄
子養子:平田盛胤(戸沢盛定)
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平田 延胤(ひらた のぶたね、文政11年(1828年9月) - 明治5年1月24日1872年3月3日))は、江戸時代末期から明治時代にかけての日本国学者 [1]出羽国久保田藩[1]平田銕胤の長男(平田篤胤の娘千枝とのあいだの子)[2]神田明神の神職[2]目次

1 人物略歴

1.1 文久2年、京状探索

1.2 文久3年、飛龍回天建白

1.3 元治・慶応年間

1.4 明治維新以降


2 著書

3 親族

3.1 母千枝


4 系譜

5 門人

6 脚注

6.1 注釈

6.2 出典


7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

人物略歴

文政11年(1828年9月江戸に生まれた。通称は延太郎[1]。江戸定府士として出羽国久保田藩(秋田藩、藩主佐竹氏)に仕えた。父平田銕胤に国学と神道学を、山国兵部に兵学を学んだ[1]。祖父平田篤胤譲りの剛毅な人物だったといわれる[3]嘉永6年(1853年)の黒船来航によって日本社会が動揺するなか、従来の《将軍-大名藩主-家臣、家臣-奉公人》といった封建的主従関係よりも、天皇朝廷を軸とした国家的まとまりの方が肝要であると説く平田国学の考え方は、各地の武士層によって強い関心をもってむかえられるようになった[4]。延胤は江戸鳥越(現、東京都台東区)の久保田藩中屋敷にあった平田門の国学塾気吹舎の後継者として同塾の運営にたずさわり、父銕胤を支え、ともに活動した[5]。門人からは「若先生」と呼ばれた。

安政年間(1855年-1860年)以降、久保田藩江戸藩邸は気吹舎を中心とする平田銕胤・延胤父子とその人脈からの情報を利用し始めた[6]。それは、「風雲秘密探偵録」として藩当局へと報告された[6]。「探偵録」は安政5年(1858年)後半以降の安政の大獄以降、いったん中断するが、桜田門外の変の直後の万延元年(1860年)3月には再開された[7]

文久元年(1861年)7月、「探偵録」は久保田藩当局に対し、ロシア軍艦対馬占領事件に関連して外国奉行の小栗忠順が辞任した内部事情やイギリス艦隊による海岸測量の意図に関する考察、水戸徳川家と幕閣との不仲などを報告している[7]。対馬事件に関しては銕胤・延胤父子の主宰する気吹舎のもとに膨大な情報が集められた[8][注釈 1]。この頃より、気吹舎では、武士からの入門者が急増する一方、そのなかから尊王攘夷運動の一翼をになう人物が現れるなど学塾の政治化が急速に進んでいった[4]。一方、久保田藩では平田国学を奉ずる勤王派と藩主とのあいだに溝が生じた[9]
文久2年、京状探索

文久2年(1862年)4月、薩摩藩の実力者島津久光の挙兵上洛によって京都をめぐる情勢が大きく変化した[7][10]。また、5月には勅使として大原重徳が薩摩藩兵に護衛されて江戸に下向することが決まった[10]。久保田藩主佐竹義就(この年、義堯に改名)は、幕府への忠誠を貫こうとする立場から江戸に参府したものの、事態の急変は彼を不安にさせ、江戸家老宇都宮典綱の進言にもとづいて5月18日、延胤を京都に派遣して隠密探索を命じた[10]

延胤が京状探索拝命の際に家老小野岡義礼にあてたと思われる提出書には、京都・大坂での情報探索、特に表向きの風説では把握しえない内密・極密情報を入手する必要性を述べており、そのためには密事に携わる人物とのあいだに同志関係が成り立っているように見せることが肝要で、さらに堂上人と親交を取り結ぶことができれば極秘情報の詳細が入手可能であるとの見通しを記している[11]

延胤は門弟の角田忠行を同行させて5月20日に江戸を発した[11]。大坂を経由して6月7日伏見の久保田藩邸に到着しており、到着早々、薩摩藩岩下方平と対面して寺田屋事件の顛末や久光上京の目的について尋ね、長門国長府藩船越清蔵(小出勝雄)らより、長州藩の情勢、特に文久元年に航海遠略策を唱えた長井雅楽の長州藩内における地位について探りを入れている[11]

6月9日豊後国岡藩小河一敏と面会し、小河自身の活動の目的について説明を受けた[11]。小河は、安政6年(1859年)に入門した門弟であり、延胤とは懇意の間柄であった[11]


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