この項目では、埼玉県新座市にある臨済宗妙心寺派の寺院について説明しています。
兵庫県宝塚市にある真言宗の寺院については「平林寺 (宝塚市)」をご覧ください。
埼玉県さいたま市岩槻区の地名については「平林寺 (さいたま市)」をご覧ください。
平林寺
山門
所在地埼玉県新座市野火止 3丁目 1番 1号[1]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度47分23.44秒 東経139度33分36.74秒 / 北緯35.7898444度 東経139.5602056度 / 35.7898444; 139.5602056
平林寺(へいりんじ)は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺院で、野火止台地に、約13万坪の境内地を有する[6]。
山号は「金鳳山」である。この山号は、開山である石室善玖(永仁2年(1294年) - 元中6年/嘉慶3年/康応元年(1389年))が元で修行した金陵(現在の南京)の鳳台山保寧寺から「金」と「鳳」をとったといわれる。[7]境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されている。 南北朝時代の1375年(永和元年)、武蔵国騎西郡渋江郷金重村[6]、現在のさいたま市岩槻区平林寺に創建[8]。開山は石室善玖(せきしつぜんきゅう)、開基は大田備州沙弥・蘊沢(うんたく)[4]。当初は臨済宗建長寺派。大徳寺派を経て妙心寺派の寺院となった。なお、蘊沢は、岩槻城主・太田道真(道灌の父)と同一視されることがあるが、道真は平林寺創建の時点ではまだ生まれていない。 1663年(寛文3年) 川越藩主・松平信綱の遺志をうけて、子の輝綱が菩提寺として野火止に移転。 1718年(享保3年)、高玄岱が戴渓堂を建立し、独立性易の持仏を祀り、独立の碑文を書した。1903年(明治36年)に修行道場として僧堂が開単されている。 2009年(平成21年)11月26日、第 125代天皇明仁・皇后美智子夫妻が訪問した[9]。皇太子時代の1977年(昭和52年)以来の再訪である[10]。
歴史
境内の文化財など
平林寺境内林(国の天然記念物)