平川 典俊(ひらかわ のりとし、1960年11月27日[1] - )は、日本の現代美術家、写真家、コンセプチュアル・アーティスト、パフォーマンス・アーティスト。1988年より作家活動を開始、1993年に渡米。以降、ニューヨークに拠点を構え、アメリカ、カナダ、ブラジル、オランダ、フランス、ドイツ、ベルギー、トルコ、インド、日本など世界各地で300回を超える展覧会において作品を発表している。 1979年から1985年まで東洋大学で社会学を学びつつ、1983年から1987年まで20カ国以上を放浪しフィールドワークを行った[3]のち、従来の美術教育を経ることなく自身の経験に基づいた独自の作家活動を開始した。 写真やビデオ、サウンド、テキストを用いた作品から、インスタレーション、パフォーマンスアート、コンテンポラリー・ダンスまでその作風は幅広く、身体性やジェンダーセクシュアリティ、メディア、宗教、現代美術そのものなど、さまざまな社会制度がもたらす不自由さやタブーに焦点を当てた挑発的な表現を通じて、個人の認識を問い続ける作品作りを継続的に行っている。 その作品は個々に独立した強いテーマ性を持ち、個々の作品間の関係性は希薄である。また、作品を構成するメディアやオブジェ、モチーフが審美性とは別の基準で用いられる傾向が強いことから、しばしばコンセプチュアル・アーティストと紹介される。 1998年に初めて発表した、女性がギャラリースペースに排泄物を持参し、それが本人とともに展示される「へその緒の帰郷("THE HOME-COMING OF NAVEL STRINGS")」(パフォーマンスアート:1998、タカ・イシイ・ギャラリー(サンタモニカ)ほか)は2004年ロンドンのフリーズアートフェア(Frieze Art Fair)での公開時に大きな話題を呼んだ。[4] 鑑賞の対象となる作品発表のほか、作品名が与えられた対談やシンポジウム形式による直接的な発言を通じた活動を積極的に行うとともに、11人のキュレーターへの7つの質問で構成された「社会の窓("A WINDOW OF SOCIETY")」(メディアアート:1996、広島市現代美術館(広島))のような他者の言葉により構成された作品も見られる。 また自らの作家活動に加えて、プロデュース、キュレーション活動も行っており[4]、2008年にはアメリカの著名なコンセプチュアル・アーティストの一人、ローレンス・ウェイナーの監督した映像作品”Water in Milk Exists”のプロデューサーを担当している。[5]
人物・来歴
主な展覧会
個展
「パッシング・モーメンツ("PASSING MOMENTS")」(写真・テキスト:1988、ギャラリー玉屋(東京))[6]
「アウト・オブ・ブレス("OUT OF BREATH")」(インスタレーション:1988、ギャラリー・パレルゴンU(東京))
「モンテスマの憧れ("YEARNINGS OF MONTEZUMA")」(ミクストメディア:1989、台北市立美術館
「フロストバイト("FROSTBITE")」(写真:1990、ギャラリー・サージ(東京)ほか)
「東京の夢("DREAMS OF TOKYO")」(写真:1991、ギャラリー・デント(アムステルダム)ほか)
「個人的関係になるための誘惑(”A TEMPTATION TO BE A MAN”)」(インスタレーション:1992、マーク・ジャンコウ・ギャラリー(チューリッヒ)ほか)
「ザ・グレイテスト("THE GREATEST")」(写真:1993、ギャラリー HAM(名古屋)ほか)
「パンドラがパンドラの箱("THE PANDORA THAT IS PANDORA'S BOX")」(インスタレーション:1993、ギャラリーNWハウス(東京)ほか)
「二十世紀最後の瞬間のその前に("JUST BEFORE THE LAST MOMENT IN THE TWENTIETH CENTURY")」(インスタレーション:1994、アメリカン・ファイン・アーツ(ニューヨーク))
「涅槃の庭("GARDEN OF NIRVANA")」(インスタレーション:1994、アート&パブリック(ジュネーヴ)ほか)
「女子供と日本人("WOMAN, CHILDREN AND THE JAPANESE")」(写真:1994、ワコウ・ワークス・オブ・アート