平岩 弓枝
(ひらいわ ゆみえ)
文化勲章受章に際して公表された肖像写真
誕生 (1932-03-15) 1932年3月15日
日本 東京府東京市渋谷
(現:東京都渋谷区)
死没 (2023-06-09) 2023年6月9日(91歳没)
日本 東京都
職業小説家
脚本家
国籍 日本
ジャンル時代小説、現代小説
平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 2023年6月9日)は、日本の小説家、脚本家。長谷川伸門下。文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。
『鏨師』(たがねし)で直木賞を受賞後、女の生き方を描いた国際色豊かな家庭物や恋愛物、推理物で人気を集め、他方でテレビドラマの脚本家として多くのヒット作を生み出した。その後時代小説に専念。永く活躍している。代表作に『御宿かわせみ』シリーズ、『はやぶさ新八御用帳』シリーズなどがある。
来歴・人物幼い頃の平岩(1939年(昭和14年)頃)
東京・代々木にある代々木八幡宮の宮司の一人娘として生まれた。渋谷区立富谷小学校を経て[1]、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、伯母の実家がある福井県に疎開し[2]。そこでは福井高等女学校(現在の福井県立藤島高等学校)に通っていた[2]。
戦後、東京に戻り日本女子大学附属高等学校に通い、そこで友人らと演劇部を結成して『安寿と厨子王』などをもとにした脚本を執筆・上演した[3]。なおその頃の同期には河内桃子などがいた[3]。1955年(昭和30年)に日本女子大学国文科を卒業した平岩は戸川幸夫に師事、その後長谷川伸主宰の新鷹会に入会。同門の先輩の伊東昌輝と結婚した[2]。伊東は平岩家の婿養子となり平岩昌利に改名し、代々木八幡宮の宮司を務めた[注 1]。娘の平岩小枝(こずえ)は代々木八幡宮の禰宜を務める。
1959年(昭和34年)、『鏨師』が第41回直木賞を受賞。1974年(昭和49年)には『御宿かわせみ』を発表し、その後も同シリーズの作品を次々と発表して30年以上にわたるベストセラーシリーズとした。
それと平行してTBS系テレビドラマ『ありがとう』シリーズ、『肝っ玉かあさん』シリーズ、TBS系東芝日曜劇場『女と味噌汁』シリーズ、『下町の女』シリーズやNHK大河ドラマ『新・平家物語』を始めとするテレビドラマの代表作や演劇の脚本を書くかたわら、小説も次々と発表している[2]。
2023年6月9日、間質性肺炎により東京都内の病院で死去した[5][6]。91歳没。死没日付をもって従三位に叙された[7][8]。
翌7月に『平岩弓枝「御宿かわせみ」の世界』(文春ムック:オール讀物責任編集、文藝春秋)が追悼刊行された。
11月8日、都内でお別れの会が行われた。
年表『週刊文春』 1959年12月14日号文春歌舞伎『京鹿子娘道成寺』の一場面。右から、加藤芳郎、平岩弓枝、小山いと子、芝木好子、五味康祐、平林たい子、森田たま
1959年(昭和34年)-『鏨師』で第41回直木賞
1979年(昭和54年)- 第30回NHK放送文化賞
1986年(昭和61年)- 第12回菊田一夫演劇賞大賞
1989年(平成元年)- 第9回日本文芸大賞
1990年(平成2年)-『花影の花』で第25回吉川英治文学賞
1997年(平成9年)- 紫綬褒章
1998年(平成10年)- 第46回菊池寛賞
2004年(平成16年)- 文化功労者
2006年(平成18年)- 渋谷区名誉区民[9]
2008年(平成20年)-『西遊記』で毎日芸術賞。7月日本経済新聞に『私の履歴書』を1か月間にわたり連載。
2010年(平成22年)-1987年から務めていた直木賞の選考委員はこの年で退任している[10]。
2015年(平成27年)- 2009年1月(選考が2008年暮れに行われ1月1日に授与される回)(第50回)から務めていた毎日芸術賞の選考委員はこの年1月授与の第56回で退任している
2016年(平成28年)- 文化勲章 [11]
2018年(平成30年)- 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館において「作家・平岩弓枝展」が開催された[12]。
2020年(令和2年)- 2000年第34回から務めていた吉川英治文学賞の選考委員はこの年第54回(受賞作なし)で退任。
2023年(令和5年)- 間質性肺炎のため東京都内の病院で死去。91歳没。叙従三位。
著作リスト
小説
『鏨師』新小説社、1959年 のち文春文庫