凡例平岡 道弘
時代江戸時代後期 - 明治時代
生誕寛政10年9月16日(1798年10月25日)
死没明治11年(1878年)4月17日
別名丹治(通称)
戒名光徳院殿雄道義英大居士
墓所東京都台東区谷中の天眼寺
官位従五位下、丹波守、因幡守
幕府江戸幕府
主君徳川家慶→家定→家茂→慶喜→家達
藩安房船形藩主
父母父:藤沢次和
平岡 道弘(ひらおか みちひろ)は、江戸時代後期から末期の旗本、大名。安房船形藩主。 旗本大番席の藤沢次和
生涯
元治元年(1864年)10月、安房国内で1万石に加増され大名に列した。翌慶応元年(1865年)、安房国平郡船形村御霊に陣屋を起工し、船形藩を立藩した。慶応2年(1866年)11月、火付盗賊改方役宅であった屋敷および1700坪の敷地、隣地の273坪を預地として幕府より下付された。慶応3年(1867年)5月、京都見廻役を命ぜられ、6月には若年寄を辞した。
慶応4年(1868年)2月12日、松平春嶽の意見を容れて、徳川慶喜が江戸城を退去し、上野寛永寺大慈院に移る際に浅野氏祐らと随行した。7月、船形陣屋を未完のまま領地を奉還し、安房上総監察兼知県事柴山文平へと引き渡し、明治2年(1869年)6月23日に静岡藩大参事(家老)となるが、廃藩置県により免職となった。
先代
-平岡氏船形藩主
1864年 - 1868年次代
廃藩